[BlueSky: 926] Re:924 自然の「保護」をどう考えるか


[From] "Takekazu Inoue" [Date] Mon, 20 Sep 1999 01:50:00 -0700

はじめまして。みなさん。いのうえ@米国と申します。はじめて投稿します。

>>かとうひろさん<<
> 海外崇拝主義。「海外の自然はきれいだ」とか、「海外の人々は暖かい」だと
> か。日本を見ていない人が多すぎる。日本を知らないし、日本を知ろうともして
> いない。この文化的背景こそ、問題の核になっているのではないでしょうか。

海外崇拝主義というのかはわかりませんが、「遠くのものをロマン視する」という
傾向は、特に環境に関わる人間の場合多いのではないでしょうか。
たとえば熱帯林やそこの地域住民のことは皆さん随分と気にしますが、実際に日本
の山村や林業や森林がどうなっているのかというとあんまり興味を示さなかったり
する方が多いようですね。これは私の出た大学(某国立大学の林学科です)でも
同じで、特に最近環境やりたいといって元林学科に入ってくる方々は特にそういう
傾向があるようです。
日本は大体環境問題に関しては一段落して、今大変なのは途上国だから、そっちに
興味がいって当然といういい方も成り立つとは思いますが、それでもやっぱり
海外のこと扱ってるほうがなんかかっこういいって雰囲気があるのは否めないよう
です。

> まず、こういう意味での「愛国心」について考えてみるところから、スタートし
> てみるのも一案ではないでしょうか? 

愛国心というと誤解を招きやすいですが、身近な街路樹に自然を感じるといったよ
うな感性が求められていることは確かでしょう。そういう自然な感性なくして環境
問題とか語り出すとイデオロギーが先行してしまってどうもうまくないと思います。
「カラマーゾフの兄弟」で主人公が「僕は人類全体について愛を感じれば感じるほ
どそばにいる人間が嫌いになる」といったようなことをいっていたと思いますが、
おそらくドストエフスキーがいいたかったのも、目に見える他人、身近に接する
他者を無視して社会や人間を語ることの無意味さ、滑稽さ、そして弊害なのだろう
と思います。

それではまた。




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