[BlueSky: 924] 自然の「保護」をどう考えるか


[From] Hiro Kato [Date] Sun, 19 Sep 1999 14:05:47 +0000

ゲンゴロウさん、皆さん

はじめて投稿します。かとうひろと申します。

環境破壊の深刻さは、もう改めて繰り返し述べる必要はない、というくらい、み
んなが知っている課題ですね。確かに自治体や草の根で、確実に問題解決のため
の活動はスタートしている。でも、規模もスピードも充分ではない。

ここでは、ゲンゴロウさんも触れていた自然の「保護」という言い回しの含む問
題について、僕なりの意見を書いてみます。

まず考えてみたいんですけど、僕たちは、日本が好きでしょうか。自分の町、で
もいい。好きでしょうか。

それから、日本の人々を好きでしょうか? 親戚や友人たちの中に、心から大切
に感じる人がたくさんいるでしょうか? 子供たちを心から愛しいと思っている
でしょうか?

海外崇拝主義。「海外の自然はきれいだ」とか、「海外の人々は暖かい」だと
か。日本を見ていない人が多すぎる。日本を知らないし、日本を知ろうともして
いない。この文化的背景こそ、問題の核になっているのではないでしょうか。

もし、愛しいと思う人々がいるのなら、自然環境や生活環境を保護する必要があ
る、という意識は自然と発生するはずです。

言い換えると、愛しい人々を保護しようと思うなら、人類を淘汰する可能性のあ
る、環境破壊という「危険要素」を取り除こうとする意識が、きっと生まれるは
ずだ、ということです。

まず、こういう意味での「愛国心」について考えてみるところから、スタートし
てみるのも一案ではないでしょうか? 

結局、僕たちが「保護」しようとしているのは、自分たち自身と、守りたい
「人々」なのですから。

(自分たちを守るための環境保護、なんて「利己的な動機」かもしれないけど、
はっきり言ってそういうのは生物の自己防衛の「本能」ですから、善悪を問う必
要はない気がします。人類も残る、自然も残る、でいいですよね。)


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