葛貫さん、青空mlの皆様、こんばんは。。
ゲンゴロウです。
きょうは、息抜きです。
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> 何かの信者をみていると、自分達がつくり出した仮想現実に
> 酔っぱらっているように感じられる時があります。
> 時間やお金を注ぎ込んだ者ほど、自分達が土台としているものについて、
> 再検討したがらないように思われます。
> 自分自身を客観的に見ることのできる醒めた目を持たないと、と思います。
葛貫さんのこのお話、深く感じるものがありました。
考えることに時間をつぎ込んだ私も、酔っ払っているのかも。。
私には、
高度経済成長に時間と労力をつぎ込んだ人たちが作ったのも
私には仮想現実に見えます。
現実と非現実の区別は物体による建造物の違いだけで、
すべては想像の創造物。
で、
「時間やお金を注ぎ込んだ者ほど、自分達が土台としているもの
について再検討したがらない」
なのですが、これ、誰にでも言えることだなあと思いした。
なんだか、「夢破れて山河有り・・」を連想してしまいました。
ということで、
***夢と現実****
人は、皆、夜見る夢のように漠然と夢を見ている
一人では、鎖でつながれたひとりぼっちの犬が見る夢のように
自分が夢を見ていることさえ気がつかない。。
それは、まるで、砂漠の中に一人たたずむようで、、
自分がどこから来て、どこに行こうとしているのかさえ
分からずに、、感じるのは、照りつける太陽の暑さと、
熱くさらさらとした砂の感触の繰り返し。
あるとき、人は、砂漠の中に、木々に囲まれた泉を見つける。
そこには、やはり夢を見ていることに気がつかない人たちが
一人、二人と集まり、互いの夢と夢と夢と夢を覗きこみ、
だんだんと自分の夢が見え始める。
自分の夢が見えるようになった者たちは、
さらに互いの夢と夢と夢と夢を覗きこみ
夢に「現実」という名前をつけ始める。
現実は人々の夢の共有によって形になり始める。
人はさらに夢を見つづけ、また やがて人は、
鎖につながれた犬になり、人を砂漠に立たせる。
人の夢、自分の夢。
そのすばらしさに、気がついた者も、
驚きと空しさを抱えきれずに、漠然とした夢の中へ
オアシスを後にする。。
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ゲンゴロウ
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