中澤さん、MLの皆さん、こんにちわ
浦和市在住の水崎です。
> 再び,「エコソフィア」(昭和堂)第3号からの話題ですが。
> 北尾邦伸さん(島根大学教授)の「里山の景観保全がムラとマチをつなぐ」に,
> 里山における木ガス発電というアイディアがあげられていました。これは,本当
> だとすると良いアイディアと思いました。曰く,(1)木を燃やせば炭酸ガスは
> 排出されるが,それを木が受け止めて再び吸収し,同化・成長するから,大気中
> には一定量の炭酸ガスが循環するだけである,(2)燃焼の廃熱も利用できる,
> (3)小地域単位で発電することになるので,伝送ロスが少ない,(4)一定量
> の木を刈ることによって里山という半人為環境も保全できる,といいことづくめ
> と思われます。
1)確かに炭酸ガスの吸収と生産が同時に行われるので循環しているだけのようにみ
えますが、、、
炭酸ガスは、吸収される量と同じ程度しか生産出来ないのでしょうか?
2)廃熱は何に利用しましょうか?温水利用でもしますか?
3)伝送ロスは小さいでしょうが、生産拠点が点在し生産ロスが大きいと思います。
直接燃やすにしろ、木炭ガスにするにしろ、木材の持つエネルギーを熱に変えるので
すから熱に変換するとき、熱を運動エネルギーに変換するときのロスは、大きいので
はないでしょうか?
4)里山の環境を保全するとのことですが、何故里山の環境にこだわるのでしょうか
?極相林ではいかんのでしょうか?(これは、素朴な疑問です。)
> さて,何か問題はないのでしょうか? 問題がないとすると,事業化されないの
> はなぜなのでしょうか?
問題は、どのくらいの規模のエネルギーを安定供給したときに、樹木の生長とバラン
スするかだと思います。
樹木の生長でまかなえるような小さいエネルギー出力なのでしょうか?
それと効率よく成長させる為の管理、伐採、集材などの作業が、過去の太陽エネル
ギーと炭酸ガスの蓄積である石油を単純に消費する事と比較するとコスト高になり、
割に合わないのではないでしょうか?
事業化されないのは、現在の供給電力料金よりも安く供給できなからだと思います。
先日も述べましたが、自分の生きている間に起こることには敏感ですが、その先のこ
とになると、、、、
まして、三代、四代先のことなど、自分のお墓も無縁仏になるような頃の話ですも
の、関心をそんなに持つとは思えません。
だから、環境問題ももう一つ前に進まないのではないでしょうか?
生物の多様性の確保、と言う言葉にしても、だから極相林ではなく、里山植生が必要
なのだ、と言われても、何となく納得しがたいのです。
いささか、暴論でしたか?お許し下さい。
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