[BlueSky: 84] もうひとつのまとめの試み Re: [BlueSky: 81] Re60:議論の3つの水準


[From] Ken Goto [Date] Tue, 13 Jul 1999 20:33:14 +0900

ながみつさん、中澤さん、関さん、みなさん。
後藤@帯畜大です。

ながみつさん:
> この3つを、ある土地(干潟)の機能(多様な生物のすみか、道路用地、汚水浄化)を
> 利用するケースとして定式化すると、
>
> 倫理的規制あり
> (1)特定の機能を利用する方法が倫理的にきまる場合
> 多様な生物のすみかとして利用
> (合意の根拠:環境保護倫理)
> 倫理的規制なし
> (2)複数の機能を利用するそれぞれの方法を関係者の自由意志で選択する場合
> 多様な生物のすみかまたは道路用地の機能を利用する案のどちらかを選択
> (合意の根拠:2つの機能を共通の尺度で比較)
> (3)特定の機能を利用するいくつかの方法を関係者の自由意志で選択する場合
> 汚水浄化の機能を干潟または下水処理場で利用する案のどちらかを選択
> (合意の根拠:2つの利用を共通の尺度で比較)
>
> となるかとおもいます。

せっかくまとめて頂いたのですが、僕の方は、かえって、こんがらかってきちゃ
いました。すみません。

で、とりあえず、中澤さん【60】の三水準を僕の言葉でまとめてます。

(1)(いわゆる)非人間中心主義 対 人間中心主義 

(2)と(3)は、人間中心主義内部での対立。

このうち(3)の方が、格段と単純です。つまり、目的なり機能が同一(浄水)
で、ただ、それを達成する方法や手段が異なるものどうしの対立ですから、(少
なくとも建前としては)純粋に科学的評価だけで決まる。一言で表すと、

(3)同一の目標を達成する際の、自然能力 対 人工能力 の対立。


(2)をまとめる前に、関さん【74】を引用しておきます。
> 自然は文化の母胎であり、文化が環境を形成する。自然や環境の破壊は、文化や
> 暮らしの破壊として捉えられる、

この意味での自然の重要性を、仮に、文化的自然、と名づけておきます。
この場合、文化的自然は、人間生活にとっての有形・無形の価値を潜在的にも顕
在的にも含みもっている実在、ということになります。

(2)文化的自然 対 「文明的」利便性(利用価値)

以上、列挙しておくと、、、
(1)(いわゆる)非人間中心主義 対 人間中心主義 
(2)文化的自然 対 「文明的」利便性(利用価値)
(3)同一の目標を達成する際の、自然能力 対 人工能力 の対立。

ながみつさん:
> とりあえず、共同体の倫理的規制がはずれたら個人の「このみ」の問題になります。
> ある「このみ」がべつの「このみ」よりこのましいという合意形成は、おなじ尺度を関
> 係者が共有したとき成立します。このとき、関係者が合理的ならば、たとえ自由に選択
> してもある「このみ」に合意するでしょう。

僕がながみつさんの「まとめ」でこんがらかった理由の一つは、第(2)項につ
いて「倫理的規制」がない、と定式化されたためだと思います。また、単に「こ
のみ」という言葉では片づけられない側面を「文化的自然」という概念は含んで
いるように思います。

「文化的自然」は、よりタイムスケール大きな価値を標榜していますが、「利便
性」は当代の(あるいは、もう少し後の世代まででもいいですが)利益を目指し
ています。「文化的自然」の方は見えざる価値をも射程に入れていますが、「利
便性」の方は、経済生活とか消費生活を中心とした価値だけを考慮していると思
います。

「このみ」という言葉は「趣味」という言葉に近いですが、(2)での対立はそ
ういう問題ではないように思われるのです。倫理について言えば、「文化的自然」
の方は、後続世代への引き継ぎ、という価値をも含まさせているわけです。

ながみつさん:
> ところが、多様な生物のすみかの機能と道路用地の機能とを比較する尺度はあるでしょ
> うか?そういう尺度があったとして、関係者に共有されるでしょうか?
> もしなければ、倫理的規制にたよらざるをえないでしょう。

もう一つ、ながみつさんと僕とで「思考パターン」が異なるのは、
(2)の対立項を比較するにあたって、和解的合意のための「共通の尺度」を求
めようとする。その強い動機がながみつさんにはあるけど、僕にはない。という
ことで、ながみつさんの「まとめ」が、僕の頭にはす〜っとは入ってこなかった。

> 私は、楽観的に、そういう尺度はあるとおもっています。私たちの日常生活は、とても
> 比較できそうにない物や機能に、たえずそういう尺度づけをしてはじめてなりたってる
> といえます。
> だって、私の1時間の労働と、1kgの豚肉と、1本の映画鑑賞と、1週間分のガソリ
> ンにおなじ価値をつけ、実際にそれらをいろんな人と交換して日常生活おくっているん
> ですから。

ま、お挙げになられた例は、すべて金におきかえられますからね。

> そういう尺度づくりに、生物学が貢献できるのか、あるいは、経済学でことたりてしま
> うのか。あるいは、一歩さがって、私たちがしばられている倫理的規制(経済成長神話
> 、物的幸福神話)をあばき、「ただしい」環境倫理で洗脳すればいいのか。う〜ん。

倫理学に詳しい方が青空MLにいらっしゃればいいんですが、「経済成長神話 、
物的幸福神話 」などは、倫理的規制と呼べるものではないように思うのですが。
少なくとも、「規制」は抑制的はたらきですが、経済成長神話なり物的幸福神話
には抑制力はありません。

最後に。公害とか立ち退きとか、↑の(1)→(3)の対立軸では捉えられない
問題ももちろん残っています。


後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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