[BlueSky: 824] Re:810 「人間中心思考の排除」の考え


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Wed, 8 Sep 1999 10:04:02 EDT


広木さん、長峰さん、青空MLの皆様

             ゲンゴロウです。

いつにもまして、分かりにくい文章です。
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GENNGOROU
>> 人間にとって大切な自然を守ろうとするときの方法は,
>> 人間中心思考をしてはいけないということです。

広木さん(815):
> 「なぜいけないのか」が、私には分かりません。

長峰さん(810)
> でも、人間が何かをして自然を守るのであれば、方法論
> も人間中心に考えざるをえないのではないでしょうか?

この件に対する答えは、私には、非常に説明が難しいので、
これに答えようとして書いた下記の私の文章の中から探して
いただければと、わがままを承知で思います。
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私は、このMLに来て感じたことなのですが、率直なところ
自然を分解できるもののように捉えている方がいるように感じています。
(感じたのは私のような人間ですから気にしないでください)

科学技術が発達してきたせいで、人間は科学技術への過信が過度すぎる
ように感じます。(私もその一人であることは否定できない)
なので、私とすれば、
「私の話は、絶対に理解されないだろうなあ」という、あきらめを
勝手に感じています。

皆さんは、どう感じるでしょうか→この自然とか宇宙の中のほとんどは、
もうすでに人類によって解き明かされてしまったのでしょうか。
私は無限の量と数、それらが生む無限の現象にたいして、人類の探求は
ほんの序の口のように感じます。
つまり、自然:人間の知識=無限:1ではないかと。。
(1としたのは、説明のためで、なにを入れても相手は無限未知です)

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話は、ちょっと反れますが、、
私自身、普段読む本と言えば、商売、ビジネス、パソコン、などの本で、
愛用の百科事典も宇宙、数学、化学、地球などといった分野に興味を
持ってきました。が、そうしている内に、それらを考えている人間の
心とか精神というものが、実は想像以上の能力を持っているのではな
いかと思うようになりました。

漠然とした話し方で申し訳ありませんが、、続けます。
人間は、心に導かれるようにあらゆることを解明してきたのではないかと
思います。数学も物理も量子力学なども、そうだと思います。
その根本に、私は人間の存在の不確定があると考えています。
この不確定な人間存在を追い求めるように、また、忘れるようにして
人の意識や知識は進化してきたように思えてなりません。

人類は無限の存在をもともと想像力で感じていて、それを追うように
進化してきたように思えてなりません。
ということは、人間には無限の量と数の存在の前で、驚異と畏敬を感
じながらも対処して来たことになります。
その人類の歩みの過程で人間を常に支えてきたのが、心だと思います。
**** ここで、心は何ですか?などという質問はやめてください。
   無限に対処してきた過程で誕生してきた「心」がなんなのか
   私にはまだ、説明できるほどわかりません。
   また、心を感情のような激しく揺れる物に限定しないでくだ
   さい。****

私は、この無限の能力を秘めた心(精神、無意識、深層心などの総称)
を、数学とか物理とかいった認識出来ているものと比較をしてしまい、
軽んじてきましたが、「実はすごいんではないか」と感じています。
そう気がついて見ると、心に身を、思考を任せた人間の行為というもの
が、結構あることにも気がつきました。

たとえば、弓道とか射撃の方にお話を伺うと、心眼というものがあり、
的を凝視せずに無の境地で、静かな心に身を任せたときに、吸い込
まれるように当たるとか、、
将棋の世界でいうと、最後は心に聞いてみるとか、、、
剣術でいうと、剣と一体になり、相手とも一体の世界に入るとか、、
で、いずれの方も、それを心の技として明確には説明できないようです。

このことはおもしろいことではないでしょうか。
人間は説明できないことを使っているし、使ったほうがいいことに
なります。そのようなことから、常に探求し原因、原理、法則を
探していると、それはそれで良いのですが、いつのまにか、
理解できるものしか使えなくなる可能性があると思います。
人間の持つ能力を限定してしまうのはもったいないと思います。

このことは、心のほとんどが脳にあると考える私には、
脳と関係していることだと思います。
人間が有意識としている部分は、脳の全体から考えると、ほんの
少々なのではないでしょうか。なぜ、少々かというと、おそらく、
人間が脳を完全にコントロール出来ないので、脳のほとんどを有意識に
昇ってくることを押さえているからだと思います。
つまり、達人はこの無意識の部分を大人しくさせる能力があり、
それに身を任せる能力があるのではないでしょうか。。

繰り返しますが、人間が意識できない脳も脳にはあるわけで、
この脳には、これまで人間が進化してきた過程が刻まれており、
だからこそ、自然に対処するには最善のものだとおもうのです。
私は以前、「脳は人間の中にあっても人間のものではないよう
な動きもする」ように感じていましたが、それは、私の未熟な
錯覚で、最近では、とんでもない方法で人間を生かしているよ
うな気がしています。
皆さんは、物事を探求しているときに
「自分が何でこんなことを考え始めたのか」わからない時があり
ませんでしょうか。。私は、そういうときに勝手に脳に任せて
みることにしました。すると、出るわ、出るわ、、(私なりにです)
あとで、自分が書いたメモを拾い集めて、よーーく考えてみると
そこに疑問に思っていたことが書いてあったりします。

  ****余談ですが、無意識な脳にアクセスするために、私は特訓
をしました。眠りながらでも鉛筆を動かし何とか後で読め
る字を書く練習です。

私が人間中心思考を嫌うのは、有意識に処理を任せると、
きわめて、まっすぐで未熟な対処しかできないと思うからです。
それを排除するというのは、まだまだ眠っている人間の無意識の
脳の力を借りるということです。
脳(心)こそ自然の産物の部分を多く残していているのではないかと
思い、それが自然と対処する方法を私たちに示してくれるような気が
します。

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余談:

私は、幼い頃、ブランコや滑り台、シーソーのある公園よりも
雑木林とか崖とかゴミ捨て場で遊ぶのが好きでした。
今でもそうですが、整備された公園に行きたいとは思いません。
それを考えながら、今の教育の考え方などの考え方を考えてみますと、
自然に近い子どもに対して有意識で考えようとするから、
対処療法しかできずに、後手後手に回るのではないでしょうか。
つまり、目的は子どものことであるにもかかわらず、それに向かう
過程の自分の脳の考え方を監視しないで、有意識にだけ任せるから
目的が達成できないと私は考えています。

極論を言ってしまうと、人間は有意識で考えるとろくなことはないと
思います。
これは、極論ですが、正確に表現すると、
有意識も大切ですが、無意識の力を無視しないで欲しいです。

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放っておいても有意識で考える昨今なので、私はあえて、
「人間中心思考をしてはいけない」と言ったのだとご理解ください。

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GENNGOROU








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