[BlueSky: 789] Re:746 、 729 「共有地の悲劇」 競合する資源としての自然環境


[From] "SAKATA, Hiroshi" [Date] Tue, 7 Sep 1999 12:16:14 +0900

げんごろうさん 皆様へ
坂田です。

須賀さんのつけたタイトルでやらしてもらおうかと思ったのですけども、
「自然環境は資源か?」では、自然環境は資源でないと言う人はいないと思いますの
で、このタイトルは変ですよ。
私の言っている資源というのは、永光さんと一緒で「何らかの需要があるもので、誰
かが利用すれば、他の者にとっての利用価値が減るもの」と考えてもらえばと思いま
す。
今回の手紙では、「共有地の悲劇」の議論を受けて、「競合する資源としての自然環
境」という見方から
1.自然環境を資源として考える生態学的あるいは経済学的思考の功罪について
2.人の「倫理」や「自然への畏敬」や「深層心理」に自然環境の保全を期待するこ
とへの反対
と言うことで私なりに意見を述べることにします。 


(坂田(738)の意見を)
> 読ませていただきました。が、基本的なところが反対だと先に言われたのに
> ぜんぜんそう感じることが出来ませんでした。

私の書いたことが反対でなかったなら、その部分に関して議論の必要はありませんね
え。同意して頂いたのであれば幸いです。

> なぜかと言いますと、あることを除いて、すべて、私もそう思うのです。

同意していないことをはっきりさせて、そこを議論しないといけないですね。

> 坂田さんのご意見を確認させていただくと、
> *****
> 自然環境の保護は人間のエゴでしかありえず、そのエゴも人ごとに違う。
・・・(略)・・・
> そこへ持ってきて、人間の倫理や自然の畏敬の念に解決を委ねても、無理である。
> ******
> と、大意は、こうだと思います。(違っていると失礼ですね。。)

だいたいそうです。そして補足として、「お互い(人間同士でも生物同士でも)に、
限られた資源の利用に関して競合し合っている生き物だということを認識して、互い
の利害関係を明白にした上で利用可能な資源を維持する努力をすべきだ」という意見
を付け加えたいと思います。

以下のゲンゴロウさんの文は「支離滅裂」(私が言っているんじゃないですよ!ゲン
ゴロウさんが自分で言っているのですからね。)になってきてるということですし、
一つ一つの意見については、私のような人間はちょっと同意しにくい部分が多すぎ、
私の意見も述べにくいです(広木さんと同じような疑問もでてきますし・・・)。一
つ一つの意見に対するコメントは避けさせていただいて(ごめんなさい)、読まして
いただいた感想だけ述べさしてもらいます。

「ゲンゴロウさんは、何を楽天的なことを言っているのだ。漠然と「倫理観」や「自
然への畏敬」に頼るなんて、問題解決の努力を放棄しているようなものじゃない
か。」という考えから、意見を書くことにしました。でも、ゲンゴロウさんの今回の
メールを読んで、むしろ私の方が楽天的だと思いました。私は、自然環境の破壊を、
資源の問題として、それを利用するものの利害関係の問題として、その競合関係と解
いていくことで問題の解決に近づくと思っていますから。無理そうなことでも、性急
に「人間のあるべき姿」とか「洗脳」とか言わずに、生き物同士の関係や人間同士の
利害関係の構図を読み解く努力をするべきじゃないでしょうか?(どうせ「あるべき
姿」なんてすぐにはわからないのですから。) 生態学や経済学の成果は、もう少し
感情
に走るのをこらえて読み解けば、役に立つものもいっぱいあると思うのですよ(すぐ
に、あるいは直接的に、役立つかどうかは別ですし、あるべき姿がわかるものでもな
いですけど、何かしら展開していくと思います)。

そして、このような自然環境を資源としてみる思考は、自然への畏敬や愛と相反する
するものではないと思います。畏敬すべき愛すべき資源としてなわばりを主張すべき
問題だと思うからです。そして、畏敬の念や倫理観のない人(あるいは違ったかたち
の畏敬の念や倫理観を持っている人)に対していかなる説得力なり効力を持ち得るか
が重要なポイントだと思います。


永光さんの質問に答える形でいうと、もしかしたらわかりやすいかもしれません(も
ちろん全部フィクションです。私も関西に住んでいますが、関西言葉は苦手です)。

1)乱獲(共有地の悲劇)
「この砂おまえのもんやねーやろ、ちっとぐらいとったってええやんか。
よその社にもわからへんし、おかみからクレームつけられたこともあらへん。
うちも借金かかえてくるしいんや。がんばってかせいで何がわるいんや」

Re1.1:「なにゆうとんねん!ここはうちらがずーっと、崇め奉っとた浜やがな!砂

んか持っていったらたたりがあるでえ。あんたにもようないことがあるし、やめと
きぃ。長生きできへんわ。それに、こんなきれいな浜壊して罪悪感あらへんの?」

(こんなんで引き下がる業者がいるのかしら。)

Re1.2:「あんなあ、こういうタイプの砂浜は減ってきとんねん。ここが壊れると、
地球レベルでの生息地の多様性が減ってしまうんや。おまけに○○ちゅう絶滅危惧種
がおるからな、これ絶滅させたらえらいことやがな。」
  
(希少生物がいると言うことは、昨今は結構インパクトのある保護の理由になってい
るようですが。この考え方では、シビアに資源を利用し合うような状況になったと
き、果たして有効なのだろうかと、私は個人的に思っています。希少生物というだけ
だったら種の数は嫌になるぐらいたくさんあるでしょうからねえ。むしろ、資源供給
源としての生態系の機能の維持という目的で保全を行い、結果として希少種もある程
度生息したり、多様で楽しい生物相が見られるという形にした方がいいような気がし
ます。精神的なものも含めて自然環境に何を求めるか? 繰り返しになりますが、価
値観の問題でもありますから、どれだけ違う価値観の人を相手に説得力を持つか、が
問題です。「私の好きな珍しい花やけだいじにしてや」とかや「生き物いっぱいの方
が面白いやんけ」だけだと弱いような気がするのですけど・・・)

Re2:「おまえしらへんかったんか? ここはわしらの共同体の浜やがな。信仰の対
象として浜の権利を確保しとるんやがな。わしらの浜やけ、御上が文句つけるわけあ
らへんがな。ここの砂は、わしらの宝や、1ミリ以下のは一粒1円、それより大きい
のには3円ぐらいの価値やとおもっとるんや。その金出せるんやったら、ちょっとだ
けなら分けてやってもええで。それから今まで持っていった分の穴埋めはしてもらわ
な困るでぇ。ぎょうさん持っていきよったから、相当な額やで。」 
(権利を誰に持たせるのか問題ですよねえ。所有権さえあれば大事な物は金をいくら
積まれても売らなきゃいいのです。権利を買うならそれ相応のお金を積まないといけ
ないかもしれませんけど。経済の原理に乗っ取って資源を確保してしまえば、経済の
理論によって破壊されることはないと思います。経済的にではなく政治的に所有権を
確保することもできそうですが、それこそ分捕りあいですね。数と金と権力とプロパ
ガンダの「総合的」な戦いになるのでしょうね。)

Re3.1:「この浜の砂をこれ以上採ったらなぁ、底性動物の分布と海流の流れが変わっ
て、漁獲高に偉い影響がでるらしいわ。これはあくまでも予測やからな、何もおこら
んかったらそれでええねん。せやけど、もし万が一、ここの砂採ってホントにその予
想通りになったら、砂採った業者が浜の復旧と漁業補償をせんとあかんことになっと
るでぇ。それでもええなら、採ったらええわ。そやけど、支払い能力のない業者やっ
たら、相応の保険にはいらんとあかんらしいわ。保険代も馬鹿にならんでぇ。影響が
絶対でえへん量しか採らんから言うて、保険代負けてもらうのも手ぇやけどな。」

(ある程度根拠のある予測と制度の整備が必要ですね。それに思わぬところにある砂
採りの影響を確実に事前調査する必要がありますよね。このような態度があれば、短
期的な開発の利便は失われても、人間の知見はどんどん積み重なってくるのではない
でしょうか。なにかするならその事業の持つリスクをきちんと事業費のなかに考慮し
ておくべきですよね。いくら複雑であっても、環境のつながりに対する、知見を蓄積
して、ある事業が自分の自然環境に与える影響を予測できれば対策もあろうかと思い
ます。そのためには、巨額の費用を払っていろんな実験(すでに行われてきた開発)
があったのに、その影響を実験の前と後で詳しくモニタリングされていないのが残念
ですよね。−いや、されているのかなあ−)

Re3.2:「毎年、川から流れてきてここに堆積する範囲内なら採ってええらわ。そうせ
んとあんたらもゆくゆく砂採れへんようになるやろ。そやけど、上流は砂防堰堤が
ぎょうさんあって堆積量は減っとるし、近々下流にもダムができて、採取可能な量は
ほとんどなくなるらしいけどな。」


結局、「自然環境」が自分にとってどのような資源かを考え、どこの誰とどのように
競合しているのかを把握しておかなければ、自分にとって好ましい「自然環境」は維
持できないのではないでしょうか?
生活のためであろうが、精神生活を豊かにするためであろうが、開発して儲けるため
であろうが、「自然環境」はお互いにそのための資源です(誰かが確保すれば、他の
人は使えなく(使いにくく)なります)。自然には再生能力がありますし、いろんな
方策を通じて好ましい共同利用を実現することは可能だと思いますが、潜在的にその
資源を巡って競合し合っている構造があるということを把握しておくべきだと思いま
す。

私が出した砂採り業者への返答にはそれなりのバックグランドがなければ効果があり
ません。もっといい返答もあるのではないかと思いますし、もっといい解決法がある
かもしれません。
しかし、お互いの倫理とか、自然に対するおそれとか、ましてや、深層心理に訴える
などという方法で、自分とは価値観の合わない「自然環境」の利用に対抗できるとは
私は思いません。中沢さんが述べられたように、過去にある条件の下では、それが有
効な役割を果たした(あるいは果たした様に見える?)ということはあるかもしれま
せんが、今後これが有効に働くとは思えません。


−最後に、無責任なことを言って申し訳ありませんが・・・−
ついつい投稿してみたものの、あまり余裕がないので、返答が遅くなったり、しな
かったりすることがあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。







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