青空MLの皆さんこんにちわ。
まだ、考えている@ゲンゴロウです。
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ゲンゴロウ(699)にて:
> 広木さんの、「自然環境は人間にとって資源」のお話、とても考える
> ものがありました。
> 広木さんの提示してくださった考えは、私にはインパクトがありました。
> 環境をあえて資源として捉えて、さらに、環境を全生物の資源ともとらえず、
> 人類の共通の資源として捉えたときに、この「共有地の悲劇」は、
> 考えさせられるものがありました。
「共有地の悲劇」の「共有地」という語句の意味を
「誰もが所有していないので、誰のものであるもの」という意味で
私は、勝手に考えて来ましたが、そういう意味で考えると、
私の考えは、変なことになるのではないかと思いはじめました。
(あえて人間の資源として、共有地を捉えて考えてみますが。)
この地球のほとんどは、誰か、ないしはどこかの国の所有物ですが、
公海とか、南極とかいう「所有されていない共有地」に限らず、
すでに所有されている地球全体が、
実は、もともと共有地だったのではないだろうか。。
と考えると、誰かが所有していること自体が、すでに
「共有地の悲劇」に含まれてしまっているのではないだろうか。
だから、いまさら、共有地を作ってその中に規制を敷こう思っても
うまく行かないのではないだろうか。
共有地を無法地帯と考えると、地球法がないのだから、
あるいは、機能していないのだから、地球全体は
どこもかしこも、無法地帯ということになってしまう、、ような。。
だから、どこかに規制をかけても誰かが守らないのは
あたりまえなような。。
とすると、全人類を洗脳するのは無理かもしれないから、、
やはり、地球警察を組織して、強化して、地球法を機能させないと
いけなくなるかも。。
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ゲンゴロウ。。
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