[BlueSky: 754] Re:750 「理解する」ことと「感じる」こと


[From] "Noriaki Ikeda" [Date] Sat, 4 Sep 1999 18:20:17 +0200

喜多さん、みなさん、こんにちは。
フライブルクの池田です。

喜多さん:
>このMLには先にお話しなければ,と思う事しきり。が,余り,力まずスピード低下

>1日1メール(私は)まずは,このReメールからと思いました。   

早速のReメールありがとうございます。私は、文章を書くのに時間がかかるため、
1日に一通のメールでも、かなり体力を消耗します。皆さんのメールのペースには
驚いています。皆さん、職業を持っていたり、家族をもっていたりと、それほど時
間もないはずなのに(想像)、どうして、こんなにたくさんのメールを出せるのか
。いつも感心しています。おそらく、このメーリングリストが、皆さんにとって、
とても興味深いものだからだと思います。私も、いろいろ勉強させてもらっていま
す。


>フライブルグの池田さん,始めまして,前から池田さんのメールは意識して読んで
>いました。私の知人の女性がドイツ人と結婚して,「もしや,知人では」と,ちょ

>と,池田さんのメールにReするのは躊躇していました。その女性,今,日本に里帰>
り。
>彼女がある時,「森に行ってきのこを採集して食べている」と手紙を呉れたので,
>「専門家とでも一緒でなければ,今直ぐ,食べるのは止めなさい」と書きました。
>彼女は「少し下痢をした」と,そして日本に無事帰ってきたから,大丈夫の様でし
た。

もしかしたら知人かも知れません。ドイツ人と結婚している日本の女性、何人か知
っていますよ。

>彼女は,ドイツ人と結婚したら,(ドイツ人総てか),非常に節約家で,20年前

>掃除機,洗濯機を使っている,とぼやいていました。私はフランス人は「けち」
>(フランス人の方,怒らないで)で,ドイツ人は,謹厳実直だが案外ビールを毎日
>「がぶのみ」して,「浪費家」指向もある,と解釈していました。(理解と言う程

>ドイツを知らない,ドイツには,ハンブルクとハノーバーのみ行きました)

確かに、ドイツ人は節約家だと思います。私が前に住んでいた家の大家さんも、2
0年前の洗濯機を使っていました。企業のほうも、部品の規格をあまり変えないの
で、かなり古いものでも修理が出来ます。デパートや店の店員は、むりやりものを
売ろうとしません。お客にとって本当に必要かどうか、値段に見合った商品かどう
か、相談に乗ってくれます。わたしは、よくそれで商売ができるなあ、と時々おも
います。


>>
「感じる」または「情緒を抱く」という能力は、「理解する」という能力と共に、
>>
人間にとって大切な能力ではないか、と思います。西欧で生まれた科学合理主義思
>>
想は、人間の「理解する」という能力ばかりを育て、「感じる」という能力を縮小
>> させてしまったのではないでしょうか。
>それは,良く言われる西欧の国々が「ひっついており」いつ侵略され,いつ裏切ら
>れるか判らない事からも来ているのでは。日本は「海」と言う「囲い」に囲まれ,
>安全」「孤立」,長所,欠点を持ち合わせているからとも思えるのですが。

大陸の民族と島国の民族の違いですかね。同じアジアの民族でも、私の知っている
韓国や中国の人たちは、自己主張が強いです。これも地理的な影響があるのでしょ
うか。こっち(ドイツ)での生活は、「気が抜けない」ことが多いです。黙ってボ
ーッとしていたら、誰も相手にしてくれません。会話のなかでは、「なぜ、どうし
て、だから、よって」という言葉が頻繁に使われ、自分の意志、考え、感情までも
理由づけしなければいけません。あいまいな表現は通用しないことが多いです。こ
っちの人が、俳句のようなものを理解するのは難しいだろうな、と思います。

話しが変わります。
哲学を勉強している日本人の友達が次のようなことを言っていました。

「文書を書く時、日本では、「起承転結」、と教わるが、西欧の人は、「転」の部
分が理解できないらしい。彼らは、どうして「転じる」必要があるのか、これは何
を意味しているのかわからないみたいだ。」

西欧の文章の構造は、「転」の部分が「論」とでもになるのでしょうか。そこで、
分析したり、反問したり。日本語の文章の「転」の部分は、「遊び」または「緩和
」のようなものなのでしょうか。それ自体にはあまり意味はなく、それがあること
によって文章がやわらかくなる、趣が加わる、といった機能を果たしているのでし
ょうか。どなたか詳しい方がいらしたら、おしえてください。

西欧の人に言わせれば、「転」は無駄なもの、主張をするにあたり、必要のないも
の、なのでしょう。この日本独特(?)の「転」の部分、俳句のような文化と少し
通ずることがあるような気がするのですが。「転」、「俳句」、両方とも「連想」
ですよね。「感じる」事を重視する日本の文化風土では、西欧のような張り詰めた
、無駄のない文章は、読み手に「抵抗感」のようなものを与えてしまうので、そこ
に「遊び」を加えて文章の硬さを取り払う。こういう日本独特の読み手に対する「
気遣い」「やさしさ」から生まれたのではないか、と私は思うのですが。これは、
素人の仮説です。私の思い付きと想像で、根拠も裏付けもありません。どなたか、
実証または反論していただけませんか。

なんだか、環境のことから離れて文化論(転)になってしまいました。

今、たくさんの日本人の方々がドイツに環境施策の視察、勉強にいらしています。
確かに、ドイツから学ぶべきことはたくさんあると思います。ただ、ドイツのやり
方をそのまま日本にとりいれることは難しいのではないか、と思います。文化の違
い、気候風土の違い、などを考慮にいれることが必要ではないか、と思います。(
結)


池田憲昭

Noriaki Ikeda
Peterbergstr. 31
79117 Freiburg, Germany
tel/fax. 0761/4002053
email. ikeda@uni-freiburg.de



















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