[BlueSky: 750] Re:743 「理解する」ことと「感じる」こと


[From] kitapp@elf.coara.or.jp (Katsumi) [Date] Sat, 4 Sep 1999 10:45:18 +0900

> 喜多さん:

> >「静かさや 岩にしみ入る 蝉の音(声かな)」で,無常の幸福感を味わっていた
> の
> >ですが,どうも蝉の声を「静か」と捉えられるのは日本人か,東洋人で,西欧では
> ,
> >唯の「騒音」「雑音」としか捉えないと聞きました。
>
> 同じような事を書いた記事を、前にドイツの科学雑誌か何かで読んだような気がし
> ます。
> 日本人の持っている自然に対する「感覚」について、何人かのドイツ人から質問を
> 受けたこともあります。西欧人が、虫の泣き声を聞いて、本当に、「雑音」や「騒
> 音」としか感じないかどうかはわかりませんが、彼らが、日本人の「感覚」に興味
> を持っている、記事にもなっている、ということは、この「感覚」が、西欧人が持
> ち合わせていない、「独特のもの」ということではないでしょうか。
>
> これは、「理解する」ということを重視してきた西欧の文化と、「感じる」という
> ことを重視してきた日本の文化の違いが表れているのでは、と私は思います。

フライブルグの池田さん,始めまして,前から池田さんのメールは意識して読んで
いました。私の知人の女性がドイツ人と結婚して,「もしや,知人では」と,ちょっ
と,池田さんのメールにReするのは躊躇していました。その女性,今,日本に里帰り。
彼女がある時,「森に行ってきのこを採集して食べている」と手紙を呉れたので,
「専門家とでも一緒でなければ,今直ぐ,食べるのは止めなさい」と書きました。
彼女は「少し下痢をした」と,そして日本に無事帰ってきたから,大丈夫の様でした。

彼女は,ドイツ人と結婚したら,(ドイツ人総てか),非常に節約家で,20年前の
掃除機,洗濯機を使っている,とぼやいていました。私はフランス人は「けち」
(フランス人の方,怒らないで)で,ドイツ人は,謹厳実直だが案外ビールを毎日
「がぶのみ」して,「浪費家」指向もある,と解釈していました。(理解と言う程,
ドイツを知らない,ドイツには,ハンブルクとハノーバーのみ行きました)
> 「ドイツ人は自我(Ich)が多すぎる。小学生高学年の娘のクラスでも、みんな、我
> 先に、と他人を押しのけて、自分の意見を主張している。わたしは、そういうふう
> に娘をしたくない。私の旦那(お医者さん)が、今、中国に短い研修に行っている
> のだけど、アジアの人間的な社会にいて、心が休まる、とても満足している、と電
> 話で話していた。みんな自己主張ばかりして、たえず張り詰めていなければならな
> いドイツの社会は、あまりよくないと思う。私もアジアの文化を勉強したい。どう
> すればいいと思う。」

その知人の女性の旦那(ドイツ技師)が,私に興味を持って「日本に行ったら尋ねたい」
と手紙があり,私は「彼の環境の自然感と,私の今の自然(廃虚の様な,雑草多き家)
では余りにも違いすぎると思う」と断わりました。(旦那は10月には日本に来るとか)
> 「ヨーロッパでは、人は何でも「理解しよう」とするけど、アジアでは、「感じる
> 」ということが大事にされていると思う。」
>
> ドイツの学校では、成績は、いかに授業中に手を上げて自分の意見を言ったか、で
> 評価される場合が多い、とある人から聞いたことがあります。我先に、と他人を押
> しのけて自己主張している小学生は、議論偏重のドイツの教育の悪い面の表れでは
> ないか、と思います。
>
> 議論する場合、自分が「感じた」ことを述べただけでは、多くの人を納得させるこ
> とは出来ないことが多いと思います。それには、根拠や裏づけがなければならない
> ですし、そのためには、物事を分析したり総合したり、と科学的な思考をしなけれ
> ばなりません。こういう事を訓練するのは、民主主義社会を持続させるには必要な
> ことでしょう。環境問題をはじめいろいろな社会問題を解決するためにも有効かと
> 思います。

私の「昆虫発言」から押して耳の痛いご意見です。ただ,私はアート志向(全部が
そうではない)で,長年,無駄人生を送ってきましたので,やはり,これからも
「感じる」を最優先の生き方(それしかない)を続けたい。(ちょっぴり裏付けも)
>
> 何人かのドイツ人から、ドイツの学校教育では、感覚的なもの、が軽視されている
> 、と聞きました。
>
> 「感じる」または「情緒を抱く」という能力は、「理解する」という能力と共に、
> 人間にとって大切な能力ではないか、と思います。西欧で生まれた科学合理主義思
> 想は、人間の「理解する」という能力ばかりを育て、「感じる」という能力を縮小
> させてしまったのではないでしょうか。
それは,良く言われる西欧の国々が「ひっついており」いつ侵略され,いつ裏切ら
れるか判らない事からも来ているのでは。日本は「海」と言う「囲い」に囲まれ,
「安全」「孤立」,長所,欠点を持ち合わせているからとも思えるのですが。
>
> 日本の学校では、子供たちの「議論する能力」「理解する能力」「想像する能力」
> を高めるような教育をもっとおこなうべきではないか、と思います。民主主義の社
> 会を作っていくには必要だからです。一部の国家の指導者、大企業だけが利益を得
> ている不健康な日本の社会を健全なものに変えていくには、必要だと思うからです
> 。しかし、その一方で、俳句などの「感じる文化」「情緒の文化」も大切にしても
> らいたい。それらには、社会を変えていく、というような効果はあまりないかも知
> れませんが、人間が幸福な生活をするためには必要なのではないかと思います。

実際の所,今の日本は,私には「訳の判らん国」で,この「混乱」が又,新しい日本
を生むのでは,と思っています。何しろ,私は「最近の日本で最も素晴しい日本人」
は,あの「芸術は爆発だ」の故,岡本太郎さん(ご存じですか)のみ,と思っている
人間です。
話を変えて申し訳けありません。私が崇拝する太郎さんが,ある時,「岡本さん,
宇宙が消滅するとは」とか「時は」とか,質問された時,彼は即座に(彼はいつも
即座)「それは私が死に消滅した時」と言い放ちました。私は,それ以外にも,彼の
残された数々の言葉が「最高」だと思っています。彼が亡くなった今,私は彼の言う
「消滅した宇宙に生きている」のだと思っています。

> ドイツで4年暮して感じたことです。「立場の違う人達が、活発に議論しあうこと
> によってよりよい社会システムを作っていく、または、同じ志しを持つ人たちがグ
> ループを作って「権力者」と戦い自由を獲得する、それだけでは、人は本当に幸福
> にはなれないのでは? 心の余裕、平穏などが必要では?
> 心の余裕、平穏は、「理解する」事より「感じる」ことから生まれるほうが多いの
> では?」

所で私の知人の彼女が「ドイツ人は余り日本文化に関心がない」と以前手紙をくれ,
私など森鴎外の(いやもっと昔かな)昔から,「ドイツと日本は仲がよく(共に大戦
に破れた事もあり)」私が見た印象でも,或いは昨今の「環境問題はドイツに見習え」
見たいな所からも,ドイツも「日本に関心がある」と思っていましたので,少しこの
言葉は意外でした。
>
> ドイツでも、現在、「俳句」は静かなブームになってa「るようです。

私は以前,船の中で(ヨーロッパ),イギリス人と「碁」をやり,物の見事に破れま
した。けど「チェス」は私が勝ちました。「将棋」はちょっと「チェス文化」には
難しい様で(奪った駒が使える)。まだまだ西洋と東洋,「相違」があって当然,
いろいろ教えて下さい。

このMLには先にお話しなければ,と思う事しきり。が,余り,力まずスピード低下,
1日1メール(私は)まずは,このReメールからと思いました。   喜多かつみ

kita katsumi kitapp@elf.coara.or.jp
「創造学級KITA ORIGINA」「誰も聞いた事のないコスモムジカ」
URL http://www3.coara.or.jp/~kitapp  
「創造空間」&「蔵書」&「奇蹟」&「古葉書」「切手」(7,DEC,1998更新)





▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。