[BlueSky: 746] Re:738 、 729 「共有地の悲劇」


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Fri, 3 Sep 1999 12:33:51 EDT


坂田さん、初めまして。

                     ゲンゴロウです。

丁寧なメールをありがとうございます。
私は、自分の世界に入り込むので、分かりにくいかと思います。

このメールで、私は、かなり、過激ですが、坂田さんに対してではないです。
自分のジレンマに対してです。
坂田さんのメールには、坂田さんが思う以上に??感謝してます。
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坂田さん(738)にて:
> いつも見ているだけですが、ゲンゴロウさんと基本的なところで意見が全く反対なの
> で投稿してみます。

読ませていただきました。が、基本的なところが反対だと先に言われたのに
ぜんぜんそう感じることが出来ませんでした。
なぜかと言いますと、あることを除いて、すべて、私もそう思うのです。

坂田さんのご意見を確認させていただくと、
*****
自然環境の保護は人間のエゴでしかありえず、そのエゴも人ごとに違う。
自然環境は全生物の利害関係の調和であり、弱肉強食、抜け駆け、だましの世界は
当然で、その世界を操作できるような力は人間にはなく、結局は、他(自然環境)を
破壊しながら、個体であろうと種であろうと類であろうと生き残る物は生き残る。
それを制御するのは無法者の挙動を理解し、起こりうることを考察する事が必要だが、
それは大変に複雑である。長い歴史の中で、人間は努力してきたが、まったくうまく
いってない。
そこへ持ってきて、人間の倫理や自然の畏敬の念に解決を委ねても、無理である。
******
と、大意は、こうだと思います。(違っていると失礼ですね。。)

「おかしなことを言うなあ」と言われるかもしれませんが、私も、まったく同感です。
私は、このことに絶望して、申し上げているとお考えください。
(私の過去のメールを読み返していただくと、理想を排除するべきという私の考えが
  出ていると思います)

私たちが好ましいと思う「自然環境」の中の構成物(生物)は、実は、弱肉強食、
抜け駆け、こそ泥たちが作る秩序の世界のようです。
それが、そのまま、共有地(無法地帯、所有未確定物)に現れていますね。
(「共有」を「誰の物でもないから、みんながオラの物と思える物」として使用します)
つまり、「自然環境」に対して、人間は、まったく動物的ということになります。
私は、人間を動物でない、崇高な生物である。と言うつもりは全くありません。
その逆で、とんでもない動物であると思っているし、私こそ、そう言いたいのです。
だからこそ、自然界の秩序を解き明かす思考をもって、抜け駆け、こそ泥、略奪を防ぐ
方法を考えても無理だといいたいのです。無理だという証明は簡単です。

同じ人間が頭を使うときに、私利私欲に走る思考と、それを防ぐ思考とでは、
私利私欲に走る人間の考察にかなうわけがないと思います。
なぜなら、動機の強さが違いますので。

このことを踏まえて、私の意見があるのです。過激な言い方で言います。
(興奮しないと、頭が回転しないもので。。。)

1.共有地(無法地帯、所有未確定物)に対して、規制は無理である。
    この規制を巡ってまでも戦いが勃発して、さらに規制を定める方法、
責任者を巡っても争うほどの人間です。高頭脳に高頭脳で対処しても
    無理だと思います。

2.救いは、誕生後に成長する脳です。人間は誕生後の環境を大切にする生物です。
    それを利用して、教育するしか方法はない。見方を変えると「洗脳」です。
    その脳に「自然環境」の中での人間のあるべき姿を刷り込むしかないと思
    います。そうすれば、難しい理論などいらないのです。無法者を誕生後に
    洗脳する方法でもあります。で、その洗脳は、脳に心地よくなされなければ
    なりません。その根本が「畏敬の念」的な方法です。

3.今の「自然環境」の加速度的変化を、自然破壊と見るか単なる変化と見るかです。
    人間という生物は、他の生物に類をみない「飽くなき欲望」を持つ生物で、
    この生物が起こす変化は、その生物が自然環境に及ぼす影響は、想像を
    絶すると、私たちが確認しているかどうかです。
    私たちの欲望は、巨大化したあの絶滅した恐竜の比ではありません。

4.人間が起こす、加速度的変化の中では、どんな生物も生き残れません。
    このことを人類は甘く見ていると私は考えています。なぜなら、まだ、
    自然環境を「資源」などと考えているからです。
    枯渇、いや、破壊されようとしているときに、分配だ、適正配分だなどと
    考えていること自体、私には、見方が甘いと感じられます。
    すでに、この加速であらゆる国、組織、集団が対処不能になり、その
    構成員である、人間が苦しんでいると思うのです。
    
5.人類は、これまで進歩、発展を良しとし、減速、逆行の理論を持っていません。
    減速、逆行の理論を持っていないため、戦争とか殺戮で、人間は減速を
    行わざるえない羽目に陥っていると考えます。

まだ、私のオツムのなかには、いろいろ、あるのですが、出てきません。

で、これらの本質に、私たちが「自然環境」を甘く見ていることが原因している
ように思えてならないのです。
「自然」とは、「自ら然るべき秩序で成立している存在」でしかない。のです。
その中での秩序で「弱肉強食」「食物連鎖」などは、その中の一関係でしか
ないと思います。
坂田さんがおっしゃるように、自然界の仕組みは私たち人間には推測不可能なほど
巧妙だと、私も思います。だからこそ、もうすでに人為的な「無法地帯」の管理も
無理だといいたいのです。その巧妙で、崇高な仕組みを壊すまでに人間は、
この環境に影響を及ぼしていると思うからです。
それは、人間の創造的、建設的な影響ではなく、どんな動物もその数が増えれば
達成できる破壊的な影響だと、私は、考えています。

人間は破壊しながら、創造も出来ると錯覚しているように思えてなりません。
その考えで、「共有地の悲劇」での「自然」を「資源」と捉え方は、、、
実に、後手であり、追随的な、その場主義の考えに、私には、見えてしまいます。

人間の「危険事前回避」能力が無意識の本能で、目先の生存にしか適してなく、
推論をしての「危険事前回避」能力にはなっていないと考えてます。
おそらく、人間の危険察知は、動物的で、個体の生存の能力だからでしょう。

なんだか、支離滅裂になってきましたので、やめます。
なんか、最近、無理して考えているようで。。。
こういうときは、論に翻弄されているときかもしれません。(反省)

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genngorou


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