葛貫です。
中澤さん:
>調査して,持続可能な量を計画的にとり,
>同時にクジラの生存に適した環境の維持に努めるなら,資源として
>なくなることはないわけですから。
そのように努めようとしているのに、認められない原因が、
>信用がない,ということです。
ということだとしたら、捕鯨だけではなく、外国が日本という国に
いだいているイメージに問題があるということになりそうな気がします。
そんなに、ひどいことしているんでしょうか?
どこかで、イメージ操作されていそうな気がするのですが・・・・・。
>民俗的資源利用としてクジラを食してきた人々に対して,
>「賢くて人間の友達だからクジラを食べるな」と自文化を押しつける一部
>の欧米人に,理を認めることはできません。
同感です。
「多様性を守る」というのだったら、美しいから、可愛いから、賢いから、
等が、保護対象種を選ぶ目安になるのは、おかしいのだと思います。
かつて、宣教師等を派遣し、自分達の「正義」に現地の人に説き、時には
武力を行使してでも、他の文化を破壊してきた行動の根底にあるものは
何なのだろうと思います。
善意なのか、他者を説き伏せることで自分の正義を証明したいのか、
物質的な利権を手に入れたり、支配欲を満たすためなのか・・・・・。
自然と人間の共生をテーマに倉本聰さんが書かれた「ニングル」という本
に、「知らない権利と、放っておく義務」という言葉がでてきます。
世界中の情報がすぐに手に入る状況は、幸せなのか、
グローバル・スタンダードなるものができるのは、誰にとって、どのように
都合のいいことなのか、他者(他国、他文化)に、何処までの干渉が許され
るのか、見直した方が、いいかもしれないと思いました。
Y.Kuzunuki <kuzuny@geocities.co.jp>
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