[BlueSky: 723] Re:718 「共有地の悲劇」


[From] stepwork [Date] Thu, 02 Sep 1999 17:59:28 +0900


塩野と申します。
「共有地の悲劇」問題、面白く拝見しております。
この問題の奥深さに一人空恐ろしささえ、感じております。

で、私の思ったことは、あらゆる事例に適用して考えることが可能なこと。

<例えば、「マンション問題」>
※広木さんは、共有地の問題と違うと指摘されましたが、あえて。

マンションという居住形態そのものは、本来ありえなかった住まい方であり、
人間同士の合意があって初めて生まれた、文化的産物ともいえるものです。
そして、土地は共有、建物は区分所有(公的規制)という形で法律で規定され、

マンション管理規約(おきて)などが設けられ、
「共有地の悲劇」が起きないようにできる限りの配慮がなされています。
つまり、他人と協力(合意)することにより
「快適に住む」という利益をより安価で得ることが可能なシステムになっていま
す。

しかしながらやはりそこは「共有地」。いろんな悲劇が起こります。
お隣にやくざ(本物)が引っ越してきた。
禁止のはずの大型犬を飼っている。
何か、怪しげな商売をやっている。等々。
ここでも、ずるをする人が得をし、ずるされた人は骨折り損の住民運動などを行
わなければなりません。
そしてマンションという資産の価値(価格)も下がります。

そんなことからすると、マンションというのは
「共有地の悲劇」を回避するための一つのモデルケースと言えるのかもしれませ
ん。


<私的所有が資源管理を成功させやすい>
ふと、浮かんだのが公園のことです。
以外にも東京は、公園や緑地が外国の主要都市と比べても多いそうです。
その原因のひとつとなっているのが、
皇居に代表される江戸時代から続く屋敷跡(庭園)です。
これらの緑が生まれたのは、もちろん個人的欲望がスタートであり、
この緑を後世に残そう等という発想はあんまりなかったのかなと。
たまたま、その当時の社会情勢と時代の雰囲気(庭ブーム)が、
大きな緑を創り、それがたまたま社会資本として現代にのこり、私たちが利用で
きる。

ここで思ったのは、未来予測はあてにならないぞ。ってこと。
長期的リスクを考えて資源を守るってことが、
(何が守るべき資源か、という問題もあり)
本当に未来にとっとも価値あることか、これは、検証がむずかしい。
単なる社会的自己満足で終わる可能性もかなりある。




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