[BlueSky: 718] Re:712 「共有地の悲劇」


[From] HIROKI Masato [Date] Thu, 2 Sep 1999 11:28:49 +0000

ゲンゴロウさま

広木@ICUです。ゲンゴロウはちょっと誤解があると思います。

> 私は、マンションの土地の共同所有と自然環境の共有を考えてみると
> 問題が「似ている」部分と「異なる」部分があると思います。
> 幸いなことに、
> 広木さんが、「問題が異なる」という例にしたものが、ヒントになり、
> こんなことが思い浮かびました。
>
> ●「マンション」の住人が、なぜ共有地に「勝手な立て替え」をしないか。
> ●「自然環境」の住人の幾人かが、なぜ共有地に「勝手な行動」をするのか。
>
> これについて考えてみます。
>
> ●マンションの住人が勝手な行動をしないのは、
>  「共有地と知っているから」で、「共有地と納得している」から、
>   あるいは、「共有」の考えを守らざるをえない強制があるから。
> ●自然環境の住人の幾人かが勝手な行動をするのは、
>  「共有地と知らない」で、「共有地と納得していない」から、
>   あるいは、「共有」の考えを守らなくてもいい要素があるから。
>
> こんなことを考えると、広木さんのお話は変でなくても、
> 「共有地の悲劇」の話は変ではないかと思います。
> 「共有地の悲劇」は、共有地が何たるべきか知らない者が起こす問題、
> ないしは、知りながら抜け駆けをする人間の起こす問題なので、
> 共有地というものが、完全に機能していない状態の悲劇ではないかと。

「共有地の悲劇」の「共有」は、あくまでもハーディンが仮定した状況に限定されま
す。普通に使う「共有」の意味とは、区別して下さい。その仮定に関しては、中澤さ
んのメール(674)をご参考下さい。一度使われた言葉は、その言葉を知っている人
の理解をさまたげないために、限定した用法でしか使えないのです。「共有地の悲劇」
で、一つの単語なのです。固有名詞のように受取って下さい。

> > > 「集団自制の戦略」とは、「みな、自制をしようとしているんだ」という
> > > 例の集団催眠みたいなものだと思うのですが。やはり、人の自制を信じない

> > > 始まらないような気がします。
> > > 私は、「やくざ」な人間の誕生も、人を信じないことから「芽」を出すと
> > > 考えています。
> > > みんなで、「やくざ」を嫌えば「やくざ」も大手を振って歩けないはずです。
> > > それでも「やくざ」はいるでしょうが、、それは、想いが少ないからだと
> > > 思います。
>
> > よのなか「やくざなひと」ばっかだったら、「やくざなひと」も
> > やっていけないはずです。
>
> ????
>
> >ただ、人が多いと、不特定多数の人間同士の相互作用が増えますから、つけい
> > る隙があるのですね。
>
> そうですね。
> 巧みに見えないように付け入る隙を狙う方法も逆に研究し、
> 監視が出来るようにしなければいけませんね。

世の中「ヤクザな人」ばっかりでは、出し抜くべき相手がいないのです。

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広木眞達(HIROKI, Masato)
国際基督教大学生物学教室加藤研究室
〒181-8585 三鷹市大沢3-10-2
TEL 0422-33-3269 (加藤研究室)
email address:hiroki@icu.ac.jp.
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