[BlueSky: 706] Re:699 :共有地の悲劇


[From] HIROKI Masato [Date] Wed, 1 Sep 1999 19:08:13 +0000

ゲンゴロウさま、みなさま

広木@ICUです。

> 共有というと、マンションなどの土地の共同所有が頭に浮かび、
> 阪神大震災の倒壊マンションの事後協議の難しさをが、
> 念頭に浮かんでいました。ずーと、考えていました。
> 確かに、環境は全生物の共同財産ですね。

マンションの場合は、占有領域が各所有者に割り当てられていますから、「共有地の
悲劇」の意味での「共有地」とは問題が事なります。だって、勝手に建て替えたりで
きないですよね。

> 広木さんの、「自然環境は人間にとって資源」のお話、とても考えるものがありま
した。
> 広木さんの提示してくださった考えは、私にはインパクトがありました。
> 環境をあえて資源として捉えて、さらに、環境を全生物の資源ともとらえず、
> 人類の共通の資源として捉えたときに、この「共有地の悲劇」は、
> 考えさせられるものがありました。

「人間にとって『は』資源」であるのであって、「人間にとって『の』資源」ではあ
りません。あくまでも私は、地球上の様々な相互作用のうち、人間社会の中の相互作
用のみを注目して取り上げているわけです。それとは別に、他の生き物の活動と言う
のは厳然として存在します。

> 人間社会で、「やくざな人間」というと、「ルールを守らない連中」と
> いうことになり忌み嫌われているようです。
> 人間には「やくざ」というルールを守らないものを蔑視する言葉があることから
> 推測すると、人間には「ルール=共同の利益を守るための規則」を守ろうとする
> 社会的な本能があるようにおもえてなりません。

人間は一人で生活史をまっとうすることは出来ません(ただ生きているだけなら出来
ますが)。少なくとも誕生時には両親(種付けがすんだら母親だけでもいいですけど)
が必要ですし、子を残すためには配偶者(別に結婚してなくたっていいんですけど)
が必要です。通常は更に多くの社会的な相互作用があるわけです。

そのとき、他人と協力すれば、結構な身入があります。ただ、そこでずるをすれば、
ぬれ手に泡で、もっと大きな身入があります。いっぽう、ずるされた方は、骨折り損
のくたびれ儲けになります。

単純な場合(相互作用が一回に限られる)のであれば、ずるされた時の損失が大きい
ですから、協力行動が起こるわけはありません。ところが、世の中狭いですから、同
じ人としょっちゅう干渉があるわけです。そんな時、お互いそっぽを向いてばかりで
は、身入が全くありません。そういう社会は、ほっといても自滅するでしょう。

ようするに、相互作用が限られた人の間で起こる時には、協力行動と言うのは簡単に
成立します。

> つまり、
> 「個々人の自制」を考えると「自制」という戦略はまずいと思いますが、
> 「いいかげんに自制をしないと(=やくざをすると)制裁を加えるぞ」
> という集団自制の戦略はすでに、人間が共同生活をはじめたときから
> はじめられている気がします。

ひとたび協力行動が確立したら、「抜け駆け(チーターcheater)」の有無が、その
存続に重要になります。一人だけ甘い汁をすわれれば、他の人の身入は減りますから。
そこで、協力する対象を選ぶことになります。裏切られたらただじゃあおかないぞっ
と。タブーなどは、これの相当するものではないでしょうか。ただ、たまたまエラー
が起きる確率もありますから、それにいちいち反応していたら社会の生産性が低下し
ます。そこで「寛容」というものが重要になるのです。ちょっとは大目に見るか、と。

いわば、もちつもたれつ、なわけです。

閉鎖集団ならば事はこれでおしまいですが、実際は、集団間の人の移動があるわけで
す。そこで、見ず知らずの人との相互作用の時にどうするか。ここが非常に面白い所
です。

また、どのくらいの頻度で移動が起こるか、それが、協力行動の安定性に影響を与え
ます。さらに、集団が大きくなれば、各構成員間の相互作用回数が減りますから、こ
れも同様な作用を持つと思います。

> そして、この「集団の自制」は、個々人の「自制しなければ」という思考に
> 支えられていると思います。
> 「自然環境」という言葉が使われている背景には、「資源」という人間中心の捉え

> ではなく「全生物の共同の財産」という意味を言葉に託しているような気がします。
> それを、また「資源」でしかないと、戻してしまうと、なにか、
> もったいない気がしてなりません。

最初にも書きましたように、あくまで物事の「一側面」に注目しているだけですから
お間違いのないよう。

> あ!もう少し。。
>
> 「集団自制の戦略」とは、「みな、自制をしようとしているんだ」という
> 例の集団催眠みたいなものだと思うのですが。やはり、人の自制を信じないと
> 始まらないような気がします。
> 私は、「やくざ」な人間の誕生も、人を信じないことから「芽」を出すと
> 考えています。
> みんなで、「やくざ」を嫌えば「やくざ」も大手を振って歩けないはずです。
> それでも「やくざ」はいるでしょうが、、それは、想いが少ないからだと
> 思います。

よのなか「やくざなひと」ばっかだったら、「やくざなひと」もやっていけないはず
です。ただ、人が多いと、不特定多数の人間同士の相互作用が増えますから、つけい
る隙があるのですね。

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広木眞達(HIROKI, Masato)
国際基督教大学生物学教室加藤研究室
〒181-8585 三鷹市大沢3-10-2
TEL 0422-33-3269 (加藤研究室)
email address:hiroki@icu.ac.jp.
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