[BlueSky: 705] 共有地の悲劇


[From] Nagamitsu Teruyoshi [Date] Wed, 1 Sep 1999 18:33:00 +0900

共有地のみなさまへ

共有地の悲劇を数理モデルで定義すると、

自己の資源利用量を最大にしようとふるまうとき、
共通資源の利用者が増加すると利用者全体の資源利用量がへる

となります(松田裕之1996「「共生」とは何か」p164現代書館)。

まず、ロジスティク増殖する生物資源をかんがえます。
このとき利用者がひとりなら、現存量の半分の資源を利用することが最適です。
また、半分量を利用すれば生物資源の増殖量が最大になります。
そして平衡状態では、生物資源の現存量はその環境収容力の半分になります。
ですから、その利用者は環境収容力の1/4の資源を持続的に利用できます。

利用者2人いれば、自己の資源利用量を最大にしようと「ぬけがけ」がおこります。
おたがいに「ぬけがけ」して、これ以上だしぬいてもとくにならない状態にたっします。
このとき、2人あわせて現存量の2/3の資源を利用してしまいます。
そのため、平衡状態では生物資源の現存量もへってしまい、環境収容力の1/3になります。
よって、資源の持続利用量は2人あわせて環境収容力の2/9、
利用者一人あたり1/9になります。

したがって、うえで定義した共有地の悲劇がおこります(2/9 < 1/4)。

ところが、2人あわせた資源利用量を最大にするように2人が相談したとしましょう。
つまり、現存量の半分の資源を利用し、その資源を2人でわけあいます。
そうすれば、環境収容力の1/4の資源を2人でわけて1/8になります。

この、1/8と1/9の差はわずかですが、利用者がふえるにつれおおきくなります。
利用者が6人になると、共有地の悲劇によって一人あたり相対利用量が半分になります。
つまり、自己の利用量最大化の一人あたり持続利用量は
全体の利用量最大化のそれの約50%です。
10人で1/3に、38人で1/10になります。

数理モデルを検討してみて意外だったのは、
わりと少人数(100人以下)の範囲で共有地の悲劇の影響ががはげしいということです。
(双曲線的なグラフをおみせしたいくらいです)

ヒトのコミニケーション能力と思考能力なら、数十人の利用者を認識し、
ほかの利用者の行動を操作して、自己の持続利用量をふやすのは簡単でしょう。
38人の集団なら、自己の行動だけで最大化をはかるのにくらべ、
ほかの利用者を洗脳し行動を操作することによって10倍もの自己利益がえられます。
(まあ、そのうち11倍にしたいという欲もでてきますが)

このあたり、マルチレベル淘汰と行動の操作、延長された表現型など、
すでに議論されているおもしろい話題につながりますが、このへんで。



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