[BlueSky: 681] Re:666 昆虫標本のこと


[From] Hiraki Hisashi [Date] Tue, 31 Aug 1999 13:48:46 +0900

平城@プラトー研究所です。

"KOHNO, Katsuyuki" さんwrote:

> 喜多様,皆様
>
> 今まで,建設的な発言をしていませんでしたのでやや反省の念をこめながら発言します。
>
> 1)標本の意味
>  『昆虫の標本』に対するこのMLでの発言には,その目的や意義に関して誤解してい
> ると言わざるを得ないように感じる発言もあります(605, 614, 628, 639, 643)。個
> 々に関してコメントしたいのですが,時間その他の制約のため,残念ながら今の私に
> は無理です。しかし,「採集した場所や日付けや採集者名などのデータが記されたラ
> ベルが付けられていなければ,それは標本としての価値は無い」ことは断言しておき
> ます。ただ針で刺しただけのものは標本とは呼べませんし,私は今までの議論の中で,
> 標本とは採集した場所や日付けや採集者名などのデータが記されたラベルが付けられ
> たものであるとして発言しております。その点,誤解ありませんよう,お願いいたし
> ます。
>  標本についてさらに詳しくは,『昆虫採集学』(馬場金太郎・平嶋義宏 編,九州
> 大学出版会,1991年)という教科書的な書物に,昆虫採集や標本作成に関わることに
> ついて総括的にまとめられていますので,このMLでの私の発言に対して反感を持たれ
> た方や,疑問を持たれた方には,是非とも目を通していただきたいと思います。正し
> く作成された標本は,少なくとも「目障りだから」という理由で叩き潰されゴミ箱に
> 捨てられたゴキブリよりは,価値が高く,役に立つものであることは理解していただ
> けると思います。
>  私は,やや意図的ではありますが,昆虫採集擁護の立場から発言しました(608, 62
> 5)。が,私の気持ちとしては日野さん(609)と近いところにありますので,ここに明
> 言しておきます。
>

このような意味での標本の意義についてはまったく同意します。
喜多さんがどのようなシチュエーションで昆虫の標本を見たのかはわかりませんが、分類、同
定等のための標本や環境評価のための採集および標本以外の目的の場合には、たとえば自然史
博物館などでの展示の場合、生態展示(生息環境を模した環境の中に展示すること・・・・・
と私は理解しているのですが、専門家の方がいらっしゃったら補足していただけると幸いで
す)など展示の仕方についてはいろいろ考えられるように思います。

> 2)針を刺すこと
>  このMLには『昆虫の体に針を刺すこと』が問題であるというような発言(605, 614,
> 615, 620)もありましたので,それについてだけは簡単にコメントします。昆虫の体
> に針を刺すのは,標本として利用するために取り扱い易く,簡便な方法であるからで
> す。もっと,良い方法は無いかという発言(614)もありますが,私には針を刺す方法
> が現時点では最善と思われますので,それ以上のアイデアは現時点ではありません。
> 『昆虫採集学』第7章に標本の作成保存にかかわる記述がありますので,それをご理
> 解いただいた上で,より良い提案をいただければ幸いです。
>
> 3)昆虫を殺すこと
>  昆虫を殺すことに関しては,個々個人の宗教観,倫理観と関わる問題ですので,合
> 意を得ることは不可能だと考えます。私としては,標本(ただ針で刺しただけのもの
> は標本とは呼ばないことに注意)として利用可能で価値ある形として残されるならば,
> 許される範囲だと考えています。
>

この点についてもほぼ同意します。
私はさらに擬人化したり、感情的な部分に訴えかけること(たとえば昆虫が痛いとおもうので
はないか)に対して疑問を感じます。
このことは環境教育の側面から考えるとはっきりしてくるのではないかと思うのですが。
感情や感覚的な部分に訴えかけることは容易な方法では有りますが、「虫が痛いと思うから、
昆虫採集はいけないことだ」というのは環境教育としてより良い方法なのでしょうか。

> 4)アマチュア研究者の価値と標本
>  近年,都道府県単位で,昆虫の目録が作成されています。昆虫の目録は,その地域
> に棲息する昆虫を記述したものとして,環境評価の面からも利用価値が高いものと考
> えられます。この昆虫の目録は,その多くがアマチュア研究者がボランティアとして
> 参加し作成されたものです。目の前にいる虫の名前を知ることが困難であることは,
> その作業を始めたらすぐに理解できると思います。目録作成に関わるその困難な作業
> は,アマチュア研究者のボランティアによって完成されました。この作業には,標本
> は欠かせません(その意味については『昆虫採集学』等の書物をご覧下さい)。標本
> 作りは始めは誰もが初心者です。その入り口を閉ざすこと(標本作りを否定すること)
> は,環境評価のための技術者を失うという点で,危惧されるべきものだと思います。

しかし、4)については若干の疑問を持ちます。
昆虫採集においては、一方でコレクターの存在や昆虫が高値で取り引きされていることは無視
できない現状でしょう。(この点で事実誤認があったらこの疑問は撤回しますが)
実際問題としてこれらのコレクターと研究者、あるいは学術的、科学的に意味のある採集とそ
うでない採集と明確な境界線を引くことが出来るのだろうかということです。
実際、私の知人にもこの境界線が引けないような行動を行っているアマチュア研究者がおりま
す。
彼は、ある分野の分類の権威でも有り、しょっちゅう同定依頼をうけております。
しかし、一方でコレクターとしての本能も満たしたい為に採集禁止区域などでの採集や天然記
念物の捕獲なども行っているわけです。
(けっしてこの知人を批判するつもりはなく、私もこのコレクターとしての本能についてはわ
かります。私も環境調査会社に所属し、植物調査を行っていて、この気持ちと葛藤することが
しばしば有ります。また、前のメールで文化として議論すべきではないかというのはこの点に
係わってのことです。)
私は、このことで昆虫採集をいけないことだと否定する気持ちは有りません。しかし、昆虫採
集や昆虫に係わる研究を生業とする人は、このような矛盾を常に意識しておく必要が有るので
はないかと思うのです。


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