[BlueSky: 678] Re:670 :目から鱗的発見!:共有地の悲劇しょのよん


[From] HIROKI Masato [Date] Tue, 31 Aug 1999 11:57:53 +0000

和尚さま、みなさま

> >「自然環境」というのは、人間にとって単なる「資源」でしかありません(どの
よう
> >な「資源」であるか、それは人それぞれまちまちでしょうが)。
> (中略)
> >いわば環境は、総ての人間が共有する「財産」なのです。
>
> 単純明快な考えですね。
> 国際基督教大学ではその様な教育がされていると言うことでしょうか?

全くなされておりません。私は「異端」かも(^^;

> 「人をして地を這う全てを治ましむる」と言う教えからはしっくりしますが・・・
> 残念ながら,20年間も考え続けても私には到底達し得ない境地です。

誤解を招かないように申しておきますが、ICUにおりますが、わたくしは切支丹でも
何でもありません。

オペレーション・リサーチの考えからこの結論は簡単に導きだせると思うのですが。
社会学/経済学では、このような考えは当たり前なのでは、と思っていましたが、ど
うなのでしょう。どなたか御存知ではありませんか?それともタブー?

> 私には,自然環境には人間にとっての資源以上の価値があると考えざるを言えない
> のです。人間でありながら,人間を中心とすることに何とも言えない後ろめたさが
ある。
> これは何故なんでしょうか?

そのような価値はあると思いますが、「人間にとって」は「単なる資源」ですよね。

> そうだったのですか!では,「自制しない人」の方が適応的だということでしょう
か?
> 私の理解では,共有地に関わる人々の自制の無さが悲劇を引き起こす元凶である
> というものでした。
> ですから,長い目で見れば悲劇の回避にはそのためのルールと,賢明な自制行為が
> もっとも合理的であり,人々にもっと賢明であることを教えているのかと勝手に勘
違いし
> ていました。

「メタポピュレーション」あるいは「複数レベル淘汰」の考えに立てば、「ある事象」
にたいして「賢明」な集団が「局所的」に成立する可能性はあると思います。ただし、
「総ての事象」にたいして「賢明」である保証はないのでは。

> ところで,この話とヒューマニズムと何か関係有るのですか?

「無条件の友愛」を求める志の高い人には、耳障りな吹聴かなぁ、と思ったのです。

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広木眞達(HIROKI, Masato)
国際基督教大学生物学教室加藤研究室
〒181-8585 三鷹市大沢3-10-2
TEL 0422-33-3269 (加藤研究室)
email address:hiroki@icu.ac.jp.
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