[BlueSky: 674] Re:661 :共有地の悲劇


[From] Minato Nakazawa [Date] Tue, 31 Aug 1999 11:15:10 +0900

広木さん,青空MLのみなさん,こんにちは。
中澤@東京大学人類生態です。

(件名:[BlueSky: 661] Re:647 :共有地の悲劇に於て)
Mon, 30 Aug 1999 11:28:11 +0000頃,HIROKI Masatoさん:
> これが、「共有地の悲劇」と言われるものです。この状況下で「自制」
> をする人は、自制しない人にただただ貢ぐことになり、「適応的でない」
> と言う烙印を押されることになります。ですから、長い時間をかけると、
> 「自制」と言う戦略は生き残ることは出来ません。
たしかに,ハーディンはそう予測しましたし,ソロモン諸島でのツカツクリ
営巣地は我先にと卵を採っていった若者たちのせいで壊滅してしまいました。
誰でも採って良いならば,先に採った者が利益を得るわけで,ツカツクリの
資源保護のために卵を採らなかった人は,営巣地が壊滅してしまったら,ただ
損をしただけだったわけです。しかし,長い目で見れば,営巣地が壊滅した
ことは,卵を取り尽くした若者たちも含む共同体全体にとっては不利益です。
ヒトは,歴史から学び,将来を予測することができます。これは,悪くする
と,「過剰防衛」と葛貫さんがいわれた現象[665]を招いてしまう危険も
あるのですが(とくに,その対象に関する知識が不十分な場合),うまく
すると,共有地の悲劇を回避することもできるのです。

ハーディンのいう共有地の悲劇モデルは,「共同で使用されるあらゆる資源
は,必然的にその資源の乱開発あるいは劣化を招かざるを得ない」と予測
しているわけですが,実は,ある資源を利用している人たちがその資源への
アクセスを制限したり,その資源を持続的に利用するための取り決めを彼ら
自身の手でつくりだすのに成功している例は驚くほど多数あります(出典:
David Feeny, Fikret BErkes, Bonnie J. McCay and James M. Acheson
(1990) The tragedy of the Commons: Twenty-two years later. Human
Ecology, 18: 1-19,昭和堂「エコソフィア」第1号,1998に,京大の田村
典江さんによる邦訳が載っています)。

例えば,日本の村における森や牧草地の共有地は,村長によって口明けと
口止めが設定され,何世代にもわたる持続的利用が確保されてきました。
件のソロモン諸島の例でも,海外資本が入ってきて養鶏やプランテーション
で儲ける若者や中年層が現れ,長老による伝統的管理の権威が低下する前
は,ツカツクリ営巣地への立ち入りは厳しく管理され,資源が維持されて
きたわけです。これは,共同体所有制によって,個人の目先の利害でなく,
共同体全体としての長期的利害で行動しているからです。

「自制」が生き残れないのは,ハーディンが仮定した(暗黙に仮定した
ものもありますが),(1)オープン・アクセス制,(2)個人の振る舞いに
対する制約の欠如,(3)需要が供給を上回る状況,(4)資源の利用者が
ルールを変更できない,などの条件が満たされ,かつ,共同体所有制の
可能性や文化的制約の可能性を排除した場合に限ります。先にあげた
Feenyらの論文の最後では,世界保護戦略や世界環境開発委員会が
地球の共有資源を協調していることに触れて,オゾン層の消失や
大気中の二酸化炭素の蓄積が,現在進行中の地球規模での共有地の
悲劇であるといっていますが,同時に,大規模な共同管理にその解決
の糸口があるのではないかともいっています。著者らは明示して
いませんが,もう一つの解決の糸口は,文化,つまり環境倫理を広める
ことです。アニメやゲームの利用というのも,その意味でいい案では
ないかと思います。

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Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>
Department of Human Ecology, Univ. Tokyo


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