[BlueSky:06538] Re: 環境教育 と認知的柔軟 性理論


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Wed, 5 Oct 2005 17:52:21 +0900

和尚さん、返信ありがとうございます、葛貫です。

> 現代版で言えば「解説者」、「コメンテーター」でしょうか。
> 葛貫さん自身のような抄録員もその一種と言えるのかもしれません。
> ちょっと違うかな。でも、要は複雑な問題構成の次元軸を減らして
> 説明しやすくする訳ですよね。ある意味単純化作業。

抄録は、意味単純化というより、キーワード検索して引っかかった
ある文献が、その時自分が必要としてる文献なのか、必要としてい
る文献とつながりがある文献なのか、を見分けるガイドのようなも
のです。

野外調査の報告書等は、背景や関連分野も考え合わせて、キーワー
ドとなる語を選んで抄録をつくるよう心がけています。文字数が限
られているので、削がなければならないことも多々あるのですが。
抄録をつくる方の頭の中は、単純化どころか、一つのキーワードを
つまみ上げると、網状にゾロリといろいろなものが引き上げられて
くる感じです。
どういう次元軸を作っていくかは、利用者のセンスと力量次第です。


> 古の「まつろわぬ者ども」がモデルになっているのでしょうか。
> ただ、彼らは権力の奥深いところと何時も繋がっていますからね。

権力の奥深いところと繋がっていても、馴れ合うのではなく、必要
な時にフィードバックできればいいのでしょうけれど。


> 彼らの性癖として、曖昧な部分をそぎ落として
> 端的にしかも強力な言葉で表現する。その背景にある価値基準には
> 「明快な善悪」だったりするわけで、しばしば「そんなに単純化して
> 良いのか?」と言う疑問を感じてしまいます。
・・・中略失礼・・・
> 計画段階でその問題点を指摘した人々も多く居たそうですが、「良い
> ことをしている」人々を説得することは結局できなかったそうです。

組織ができて慣性のようなものを持ってしまうと、チェックして、
軌道修正をすることは難しくなってしまうのでしょうか。良いこと
をしたい人はいっぱいいるのに、もったいないですね。

> それでもそれでも、広告や商業メディアはとてつもなく強力です。
> 前回も書きましたが、我々の心も彼らの描き出す単純明快な価値を
> 受け入れてしまう素地が出来てしまっています。そう言う意味でも
> メディアの浸透力は恐ろしいものがあります。だからこそ、私たちは
> 彼らと共に仕事をしています。彼らの内部に「認知的柔軟性」を
> 理解できる人を作り出すためです。彼らには「それが21世紀での
> 新しい広告の形になる」と繰り返し繰り返し伝えています。歩みは遅いし、
> 力不足ではありますが、少しずつ新しい芽が育ってきていることを
> 感じます。そのひとつの成果が今年の春お伝えした東京ビッグサイト
> でのイベント「アグリゲイト(AggriGate)2005」だったのです。

「Open our "I"s」 ( "I"s:Information x Infrastructure x 
Interactive x Individual x Independency)が共有され続けて
いきますように。


> 現代における
> 解説者は、メディアの浸透力を背景にもった時から権力そのものです。
> インターネットもまたメディアですから自らの発言の浸透力に関しても
> 注意すべきなのですね。

自分では制御できなくなってしまいそうで、怖いですね。

> そう言えば、かの「まつろわぬ者ども」の間の言い伝えに「形に表れた
> 奥底を観、言葉に語られた裏側を聴く」と言うのがあるそうですよ。

昨日、読んでいた「スルメを見てイカがわかるか!」 (養老 孟司
(著), 茂木 健一郎 (著) 角川oneテーマ21)のp.165に、茂木さん
のこんな言葉がありました。

*****************

庭は、手入れをしないと荒れてしまって、美しいものにはならない。
 一方で、種をまいたり、雑草を抜いたり、水をやったりといった
手入れでコントロールできることは限られている。植物の組織の中
で、どのような化学反応が起こって、どのように育つか、どのよう
な花が咲くか、そこにどのような昆虫が飛んでくるか。うまく種が
稔るか。庭が良い庭になる上で肝心なことのほとんどは、人間がコ
ントロールできない。手入れをするということは、庭のすべてをコ
ントロールするということではなく、むしろ、そのコントロールで
きない部分は自然に任せておいて、自然が最大の力を発揮するよう
に心を配ってあげるということである。里山の森の手入れをするこ
とも、畑の土をたがやすことも、全て、自然が最大の力を発揮でき
るように、心を配るということに他ならない。

******************

「形に表れた奥底を観、言葉に語られた裏側を聴く」ことができる
人は、手入れ上手なのでしょうね。




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