[BlueSky:06537] Re: 環境教育 と認知的柔軟 性理論


[From] jce00700@nifty.ne.jp [Date] Wed, 5 Oct 2005 11:11:19 +0900

葛貫さん、MLの皆さん

何時も頓珍漢な書き込みをして申し訳なく思っています。
ま、認知的柔軟性を実践すると言うことでご容赦ください。

>恩田陸の「蒲公英草紙―常野物語 」とうい小説を読みました。
>その中に、人々の記憶(その人であったこと)を自分の中に取り込
>む(しまう)ことができ、それを周囲の人たちの入り組んだ思いを
>ほぐし問題の根の部分に気付かせるような「響く」形でみせること
>ができる「常野一族」というのがでてきました。

現代版で言えば「解説者」、「コメンテーター」でしょうか。
葛貫さん自身のような抄録員もその一種と言えるのかもしれません。
ちょっと違うかな。でも、要は複雑な問題構成の次元軸を減らして
説明しやすくする訳ですよね。ある意味単純化作業。

>常野というのは、常に在野にあり、権力を持たず、また権力に仕え
>ることもなく、けっして群れずに、その地に溶けこんで生きる一族
>という設定になっていました。

実際にこう言う生活でしかも問題の根幹を解きほぐすのは至難の技
でしょう。情報は多くの場合局在していて、残念ながら権力と仲良し
です。古の「まつろわぬ者ども」がモデルになっているのでしょうか。
ただ、彼らは権力の奥深いところと何時も繋がっていますからね。

>商業メディアや広告業界というと「響かせる」プロですね(^^;。

実はこれが曲者なんですね。彼らがやってしまうと「分かり易く」
なってしまう。もちろんそれ自体は良いんですが、「要するにどっち?」
的分かりやすさなんですね。「腑に落ちる」と表現しても良い形の
分かりなんです。ここ数年彼らと付き合ってみて、とっても「良く
分かった」のですが、彼らの性癖として、曖昧な部分をそぎ落として
端的にしかも強力な言葉で表現する。その背景にある価値基準には
「明快な善悪」だったりするわけで、しばしば「そんなに単純化して
良いのか?」と言う疑問を感じてしまいます。

例えば、嘗て某機械メーカーが中国の内陸部に広がる砂漠に木を植える
と言う活動を支援する事業を広告や商業メディアが大々的に宣伝し
ました。ここでの「分かりやすい価値基準」は、「砂漠は悪、植林
は善」です。これに呼応して日本からも多くのボランティアが現地に
入り、広大な面積に莫大な数の苗木を植えました。かかわった人々は、
「良いことをした」満足感を感じたそうですが、実際現地にはその樹種
は定着せず、一時的に流れ込んだ貨幣経済が現地の人々の暮らしを
混乱させた結果に終わったと言うことです。おまけにその地域に元々
なかった外来樹種が僅かに蓄えられていた地中の地下水を吸い上げて
しまったために、その樹が枯れてしまった後は全くの不毛の地になって
しまいました。

計画段階でその問題点を指摘した人々も多く居たそうですが、「良い
ことをしている」人々を説得することは結局できなかったそうです。

勿論、物事の善悪は短期的には決め付けることが出来ませんから、
長期的に見ると上の活動が(かの国の崩壊を加速し、アジア地域の
均衡的発展に手を貸したと言う意味で、もっと言うと日本人の驕慢
な思い上がりを打ち壊したと言う意味で)全人類のために良かった
と将来評価されるかもしれません。ちょっと屈折しすぎでしょうが・・

しかし、局所的かつ短期的に見て、彼らが「砂漠緑化」、「環境
保護」と言う錦の御旗を立てて行った大行進の後には不毛の地と
中央への財政的依存心と言う現地の人々の心の荒廃しか残さなか
った。これが現実です。

それでもそれでも、広告や商業メディアはとてつもなく強力です。
前回も書きましたが、我々の心も彼らの描き出す単純明快な価値を
受け入れてしまう素地が出来てしまっています。そう言う意味でも
メディアの浸透力は恐ろしいものがあります。だからこそ、私たちは
彼らと共に仕事をしています。彼らの内部に「認知的柔軟性」を
理解できる人を作り出すためです。彼らには「それが21世紀での
新しい広告の形になる」と繰り返し繰り返し伝えています。歩みは遅いし、
力不足ではありますが、少しずつ新しい芽が育ってきていることを
感じます。そのひとつの成果が今年の春お伝えした東京ビッグサイト
でのイベント「アグリゲイト(AggriGate)2005」だったのです。

>ブログ、ML、掲示板・・・ネット空間は「しまう」場を提供してくれる。
>「実体験」や「体験知」を、等身大の強度(?)で響かせ、共有し
>ていければいいのですが。

そうですね。常野一族の設定とは真っ向から逆行しますが、現代における
解説者は、メディアの浸透力を背景にもった時から権力そのものです。
インターネットもまたメディアですから自らの発言の浸透力に関しても
注意すべきなのですね。

そう言えば、かの「まつろわぬ者ども」の間の言い伝えに「形に表れた
奥底を観、言葉に語られた裏側を聴く」と言うのがあるそうですよ。
自戒をこめて・・・

和尚


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