[BlueSky: 653] Re:612 集団生物とことば


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Sat, 28 Aug 1999 14:28:48 EDT



中澤さん、ありがとうございます。

                  ゲンゴロウです。

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中澤さん(612)にて:
> いえ,有機体というのは生物という意味ですから,
> 生物を「超えている」という意味で,「超有機体」
> なんです。

♪ 私、ばかよね♪
怪獣番組の見過ぎなのか、「超」を
空想的な表現のような意味にとっていました。。
まったく、、、、
「超」は、「超えている」なんですね。。。
・・・う???
でも、超えると越えるとは、どう違うのだろう・・・
(答えなくていいです、、考えます。。。)
とにかく、超有機体は、有機体ではない存在であるという意味は
ありますよねえ・・・

> ●蓄積する文化は悪か?
> > 蓄積する知識が悪いと思い、文字とか紙がなかった時の
> > 人類の安楽な生活をうらやましいと、思います。
> 気持ちはわからなくもないです。生物は脳のみで
> 生きるわけではないのに,アンバランスに脳化が
> 進んでしまっているから不幸だということですね。
> うーん,しかし,知的好奇心や知識の蓄積は,現存
> する人類が,他のヒト上科の親類よりも高い適応度
> を発揮して生き残ってきたという事実から考えると
> きわめて役に立った「脳の癖」ですからねぇ。
> 現存する人類が,文化を全否定することは,自分の
> 脳を否定することになり,ひいては自我を否定する
> ことにつながってしまいませんか?

あ!否定はしていないんです。。
なんというか、、「諸刃の刃」というような、、、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」という意味で、、
「表には裏もある」というような、、、
「光と影」のような、、、
「良いこともあるけど、悪いこともあるなあ」という感じです。。

> 蓄積する知識が膨大になりすぎると,生物としての
> ヒトに負担をかけすぎるというのはわかりますが,
> それは,脳の体外への拡張であるコンピュータが
> もっと使いやすくなれば解決できそうな気がします。
> #甘いかもしれませんが。

甘いなんて、思いません。
でも、物事を考えるとき、できるだけ脳の中の記憶をサーチして、
関連することを拾ってきて考えるようで、、、
思考というか、想像(創造)は、どのくらいの記憶をサーチし、
重要な物にアクセスし、いかに関連づけるかにかかっていると
想うのですが、、
そんなことが出来るコンピューターが出来るのでしょうか。。
仮に、出来たとすると、
人間の感情とか、想いは、記憶へアクセスしたときにうまく対処、
出来ないと狂うみたいで、、
また、仮に、それも対処できたとしても、
さらに知識の蓄積は加速してしまいそうで、、、
同じことになってしまうような気がします。。
紙で知識が蓄積して、それに対処するために、HDの容量が増し、
今度は、アクセス速度が傷害になって、という感じです。

> ●アルフレッド・クローバーはかわいそうか?
> ぼくの説明不足だったと思いますが。

いいえ!私が、知らな過ぎです。

> クローバーは,「超有機体論」こそ異端として退けられ
> ましたが,1960年に84歳で心臓疾患が原因で亡くなるまで
> 人類学界の第一線で活躍し続けた人です。カリフォルニア・
> インディアンの民族誌や「文化成長の諸形相」などは,
> 当初から高い評価を受けていますし,41歳でアメリカ人類
> 学会会長にもなっていますし,「かわいそう」ということ
> もないと思います。「超有機体論」も,文化人類学者なら
> 一度は目を通さねばならないとされている論文ですから,
> 無視されているわけではないのです。

そうだったんですかあ・・・
(今度は、うらやましくなってきました。。)

> 奥さんのシオドーラ・クローバーの著作や,娘さんの
> アーシュラ・K・ル=グィンが書いたSFの諸作品にも,
> 彼の思想は影響を与えています。シオドーラが書いた
> 「イシ」岩波同時代ライブラリー,1200円は,いろいろ
> 考えさせられる作品なので,一読をお薦めします。

ありがとうございます。
図書館に注文します。(蔵書にないと、すぐに買ってくれるので)

> イシの死体を解剖するという話があったときに,アルフレッドは,
> 「科学研究のためとかいう話が出たら,科学なんか犬にでも
> 食われろ,と私の代りに言ってやりなさい。われわれは自分らの
> 友人の味方でありたいと思います。」と書いて反対したそうです。
> 彼の人となりを示すエピソードと思います。

ふ・・・・む。。。そうなんですか。。。
クローバーに興味ありです。

> > ● 今は、日本にこのような「クローバー」的な考えをしている方は
> >   いらっしゃるのですか?
> 文化に自律性を認めるという意味であれば,
> 表現形式は違いますが,かなりいるのではないでしょうか。
> 具体的に誰と名前をあげることはできませんが。
> #マクロ○×学という名前の学問は,ほとんど全部が
> #暗黙のうちにこれを仮定しているのではないかと思います。

「マクロ○×学」って、経済学かなあ・・・生物学?社会学?
私、経済学だったんですが、、そういえば、、そんな感じで・・・
??もしかすると、私の思考は、これに影響されているのかなあ・・

> ●人類生態学とはどんな学問か?

> 全体像が書けてないので,森山さんの「ネットサイエンス・インタビュ
> ーメール」
> の記事をご覧頂いた方がわかりやすいかと思います。
> http://www.moriyama.com/netscience/Nakazawa_Minato/index.html

中澤さんの考えが知りたかったので、不本意にこのHPをみました。
そうしたら、中澤さんが話してました。(笑)
とても、分かりやすく書いてありました。蚊の生態と、人間の生態の関係が
とてもおもしろかったです。
人間についていろいろなアプローチがあることが、よく、分かりました。
でも、とても、大変そうです。。
で、私の考え方が、どうも文化人類学に近いようなことが、分かりました。
でも・・以前、文化人類学の本を読んだとき、私、
「人類を知るのは、これじゃないなあ」と感じたのですが。。

で、ちょっと、いや、かなり、生意気なのですが、お話が、、、
また、私なりの考え方で、恐縮なのですが、、
私は、人間が意識生物、あるいは精神生物であると考えて、
人間を他の動物のように肉体生物として捉えては、もう、いけないと
考えているのですが、ある意味で人間を「無体の生物」である、
意識体(精神生物)と考えると、体は似ていますが、個々に種の分化が
すでに起きているのではと考えます。
(これまでの生物の進化では、種はどんどん分化しているし・・・
  人間の進化は速そうだし・・・と考えると。)
生物の種の区別を容姿(形態)で考えれば、人間は一つの種ですが、
生態で区別すると、もう、違った種と考えて良いのではないかと想います。
これが、文化的遺伝子(ミーム)的な考え方かもしれませんが、、、
ただし、その種の分化は民族、世代、宗教、など、記憶した物事に
よって起きているので、地域的なものとは、限定できないと思います。

その種の違いが、逆に肉体的な進化にも影響を及ぼしているのが
顔の形であり、あるいは、精神的な種の違いを人間が無意識に悟
っているのが、衣服やアクセサリーのたぐいではないかと思います。

人間は、共存することで競争力をもったにもかかわらず、内的な種の
分化にも見舞われてしまって、共存が出来ない現象も出てきて、揺れ
動いているのが人間のような気がします。

それに対処するために、集団の規範(規則)、習慣などが生まれてきた
ように思います。。

でも、そう考えたから、どうなんだ!と、言われてしまえば、
そうなんですが。。
(この件に関しては、コメントしないでいいです・・・
      私の妄想ですから。)

> 取り急ぎ。

いつも、急いでいただき、すみません。
貴重だなあ、と思ってます。

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GENNGOROU


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