[BlueSky:06507] Re: 生き物と の出会い


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Wed, 10 Aug 2005 12:25:54 +0900

こんにちは、葛貫です。

中澤さん wrote:
> 個人的には,議論だけではどうにもならないような閉塞感を感じることも
> 時々あります。けれども,議論が必要なことも確かだと思います。
> # 昨今の国会みたいな議論放棄→強行ではダメでしょう。

以前、小池環境省長官が環境省の専門家会合のオオクチバス特定外来生物
指定を先送りという決定を覆して、規制対象の第1次リストに加えたことも、
議論放棄→強行の例でしょうか。「議論する」という名目で、本質的な問題
にはふれず、建設的でない時間稼ぎをしているような気がしないこともない
のですが(^^;。

須賀さん wrote:
> そしていわゆる「環境問題」の多くは、いろいろな活動の相乗効果で
> ひとりひとりの環世界の範囲をこえて互いに影響をあたえ合っています。

> それは他の生物の環世界をおびやかしている面もありますし、それに
> よって、人間のそれぞれの環世界に対する自然界からのサービス(恩恵)
> のあり方を(大局的にはおそらく負の方向に)変えつつある面もあると
> 思います。

> こういう影響にはだわからないこともたくさんありますし、どういう
> 選択をすればいいかについては、なおのことむずかしい判断がもとめ
> られていると思います。それでも少しでも確実な方向にむかって進もう
> とするなら、お互いに環世界をひろげ、それについての想像力を豊かに
> もつことにも意味があるのではないでしょうか。


7月26日の朝日新聞に『決める? 決めない? '05「選択」考 上 正解の
ゆくえ』という記事がありました。

******
自己決定に自己責任。洪水のような情報の中で、常に「決める」ことを求め
 らる時代。裁判員制度もやってくる。ホリエモンは「決断」して新たな地
平を切り開いた。でも、本当に私たちは、自分で決めているのだろうか。身
近な「選択」の風景から、決めること、決めないことを考える。
・・・・中略・・・
「クイズ番組から正解が失われつつある」
『クイズ文化の社会学』の共編著がある大阪市立大の石田佐恵子・助教授は、
 そこに現代の「決めること」の位置を見てとる。
70〜80年代はクイズタイムショック、クイズ・グランプリなど「正解」が主
眼 だった。文学・歴史・社会・科学・芸能・音楽などのジャンルわけ。石
田さんは「正解を決めることで『共通の知』を形作り、逆にそこに支えられ
てこそ正解が意味を持った。『共通の知』が成立しにくい今、正解が面白み
のないものになっている。」とみる。・・・・中略・・・
知を試し、決めることは脇に置き、傍観するものが多い。
「正解を一つに決めるのではなく、『みんなで正解ということにしておこう』
という共同謀議。多くの人が思うのだから、正しいし、それでいいというリ
アリティーを生む装置となる」
・・・中略・・・
システム化が進む社会の中で、私たちはどんな状況にも順応できる汎用性を
ますます求められている。そのとき、「決めること」はどこへ向かうのだろ
うか。
 先の石田さんは、社会学者ウルリヒ・ベックの逆説的な考え方に共目うす
る学生が目立つことに注目する。ベックは著書『危険社会』の中で、知識や
科学自体に危険が内在するため、最高の知と良心を持ってしても、逆にだか
らこそ危険は生じざるを得ないとする。
・・・中略・・・
石田さんは「決めることへの根底的な疑い、無力感がムードとして若者の間
に漂っている。ネットや携帯電話の存在も、自己決定という作業の意味を、
根底から覆すおそれがあるのではないか」と話した。
*********

『みんなで正解ということにしておこう』という合意形成みたいなものがあ
まりされないこのMLは、何か、尻切れトンボみたいな感じもするのですが、
「幻想のリアリティー」を作り出すのではなく、後は、自分で考えてね、
という感じで、「ネットや携帯電話の存在も、自己決定という作業の意味を、
根底から覆すおそれがあるのではないか」という危惧は、少ないのかも(^^;。


中澤さん:
> もっと川遊びくらいする暇があった方がいいと思うんですけども。

そうですね。
ちょうどいいときに行き合わせたワンドの豊饒さ、干上がってしまったり、
増水して川とつながってしまったり、そんな環境の中で生き延び、子孫を残
そうとする河原の生き物たち。遊びながら、その場の全体的な様相をみられ
たらいいな、と思います。川端さんの本、読んでみます。


> > 以前、このMLでではないのですが、「1ヘクタールの畑は何人を養
> > っているか?」ということが話題になったことがあったのですが、

> 最近,都市計画学会の学会誌「都市計画」の密度論再考という特集号に
> 「人類生態学からみた都市の密度」という原稿を書かせていただいた
> ときにちょっと調べたのですが,この話の答えは,

・・・中略失礼・・・

> 人工閉鎖系のバイオスフィア2では,8人を養うのに0.2 haが必要だった
> ので,十分に管理すれば1ヘクタール当たり40人ということになります。
> しかし時間が経つと土壌は劣化するでしょうから,実際はこれより
> 少ないでしょう。
>
> 有名なメドウズら(枝廣淳子訳)『成長の限界 人類の選択』(ダイヤ
> モンド社,2005)には,世界全体で均すと一人当たりの耕作面積は0.25ha
> と書かれていますので,これからすると,1ヘクタール当たり4人という
> ことですね。


丁寧な、説明、ありがとうございます。

十分に管理された閉鎖系において土壌の劣化等を考慮しない場合、1ヘクタ
ール当たり40人ほどを養えるんですね。

別の場での「1ヘクタールの畑は何人を養っているか?」という話は、1ヘ
ク タールの耕作地は、どれだけの雇用を創出できるか、というような切り
口の話になりました。

農水省が算出した平成15年度のカロリーベースの食料自給率は40%、
生産金額ベース食料自給率は70%。
http://www.maff.go.jp/jikyuuritsu/index.html
http://www.maff.go.jp/jikyuuritsu/kuwashiku1.html

この落差は、何なんだ? というか、今後、カロリーベースではなく、生産
 金額ベースの食料自給率を中心とした議論・報道が主流になってきたら、
輸出入がうまくいかなくなった場合、危ないんじゃないかな、と思いました。

> 東京23区の人口密度は1平方キロメートル当たり13155人ですから,
> 食糧は外から運んでこないと足りません。それを全部知ろうとしたら
> とても大変だろうと思います。東京に限らず,都市はどこも似たような
> 状況でしょうが。

はい。
食料自給率(カロリーベースを忘れ去ってはいけないと思う)の向上、「農」
の再生も含めた「食育」を考えた場合、知りたいと思ったとき、知ることが
できる、データベースがあったら、と思います。




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