論理学者の今本と申します。
毎日新聞の評にちょっと一言。
下記の部分、養老孟司氏たろう人が、論理的なすり換えをやってますね。
非常に見苦しい限りです。
> : いまの若者は「自分に合った仕事」を探しているらしい。そんなものはない。
> : そもそも自分とは、仕事で規定される程度の安直なものではない。
> : 仕事とは社会に必要性があって生じるもので、それをニーズというのである。
> : 自分のために仕事が転がっている。そんなことが論理的にもあるわけがない。
> : 社会がまともに動くために、仕事が存在しているのである。
> : さらにいう。若いうちに「自分」が何者か、わかるわけがない。
>: それなら「自分に合った」もクソもなかろう。
「自分にあった仕事とは何か」と「自分とは何か」とはそもそも主語が違うでしょう。
自分とは何かがわからなくとも、自分にあった仕事が何かわからない、という必然的
相関性はないということ。
つまり評者は、
「自分にあった仕事はこうである」という当人の判断力の問題を、「自分とはこうだ」
「自分のために仕事がある」という価値観に恣意的にすりかえている、一種の
論理的虚偽を犯しています。両者が全然別の次元の話なことは言うまでもない。
この方、日本語が少々難か、あるいは意図的にすりかえているかのいずれかです。
極言すれば、自分を定義できたり、自己中心的な世界観をもつことの有無に関わらず、
「自分にあった仕事とはこうだ」「あわない仕事はこうである」という二者択一の判断くらいは
誰でもつく、そういう可能性は大いにありえる、という単純な推論です。
それが評者のごとく、60歳になって「自分にあった仕事」を見出そうが、20歳からそれを
見出そうが、それは偶然の遭遇による問題であり、年齢を経たか経ないか、自分を理解したか
どうかによる問題ではない、ということはいうまでもないことでしょう。
この評に関する限り、ご自身が「バカの壁」にぶち当たられたらしい。残念!
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今本 秀爾 Imamoto Shuji
imashu@kcn.ne.jp
http://www1.kcn.ne.jp/~imashu/index.htm
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