[BlueSky: 633] 昆虫の標本


[From] "Nagamine, Takafumi" [Date] Fri, 27 Aug 1999 16:19:41 +0900

STAFF研の長峰です。

私は小学生の頃、夏休みの課題として昆虫採集させられました。昆虫に防腐剤を注射して殺すのも嫌でしたが、昆虫の死骸を並べたものなんて気持ちが悪くて、おまけに作り方が悪かったのか嫌な匂いがするので、先生に提出した後すぐに捨てていました。まあ、この辺は個人的な感覚の問題でしょうし、環境にさしたる影響はないように思います。

ところで、私の生命に対する感覚はこの数年間で大きく変わりました。以前はただ単に生き物がいて、その命は等しく貴いものだという単純なものでしたが、今は、個々の個体の命はそれほど貴くないと思うようになりました。

私は7年程前からねずみ類をペットとして飼い続けています。初めは数匹だったので、それぞれに名前をつけて可愛がっていました。しかし、だんだん数が増えて100匹を超えるようなると、個々に名前をつけるようなこともしないし、1匹や2匹死んだとしても悲しいと思わないようになりました。その頃から生き物を個体としてではなく群としてとらえるようになったと思います。これは自分に対してもそうで、自分という意識は長い時の流れの中のほんのわずかな部分しか感じられないし、存在し得ないのだけれども、祖先から受け継ぎ、そして受け渡していく部分(漠然としていてすみません)は存在し続けていくと思います。

一方、私は仕事柄、細菌を培養しては殺すということをくり返しています。3年程前に、この作業をしながら、ふと、この薬品を入れた瞬間、100億匹くらいの細菌達がウギャー!体か解ける−っ!とか思っているのかしら?と考えました。そして、生き物をむげに殺すのは良くないだろうけど、その生き物に細菌も入るのかな?と考えました。そうなるといろんなことを考え出して、最終的にその線引きはできない、引くなら人間と他の生き物の間くらいしかできない、というところに今は落ち着いています。

そういうことで、むげに殺すのは良くないだろうけど、群として存続に影響がなければ、生き物を殺す行為に対してそれほど気に止むことはないと思っています。それから、脱線しますが、生き物は時間に従って流れていく(変化していく)ものであるから、今いる生物達が失われていくことを押しとどめる行為は、人間にとっては問題になりうるけれども、自然から見れば意味はないだろうし、逆に新しいものが生じるのを阻害する行為でもあると思っています。


以上、長々と書いてしまってすみませんでしたが、私の考えは一般的でないと感じていますので、ご批判のほどをよろしくお願いします。



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