[BlueSky:06297] Re: 自然保護について


[From] SUKA Takeshi [Date] Tue, 21 Dec 2004 12:30:20 +0900

山口さん、和尚さん、葛貫さん みなさん
                    須賀です。

山口さん:
> 上の和尚さんのコメントに触発されたのは、昨日から元役人で某大学のH教授
> (サイトのURL: http://www.eurus.dti.ne.jp/~hisatake/ )
> と、中央省庁の役人による地方行政の保護支配思想についてやり取りしていたからで
> す)。

和尚さん;
> チラッと見ましたが良くわかりませんでした。
> これは葛貫さんに講評していただいたほうが良いのかも・・・

葛貫さん:
> 元役人で某大学のH教授の「いつものお返事」というものは、有名
> なのだと思われますが、恥ずかしいのですが、私はお名前もはじめ
> て拝見する方なので、内容がよくわからず、講評できません。
> お役に立てなくて、ごめんなさいm(_ _)m。

へえ、どんなサイトなんだろうと思ってみてみたら、わたしには
面白い文章がみつかりました。

まず、「管理人独白(公・社会編)」というこのページにある文章

"管理人は96年からは某私大で教鞭をとっているが、それまで29年
 間環境行政に従事、つまり環境役人だった。役人はペンやキーボ
 ードは必須のアイテムであるが、モノ書き自体は本務ではなく、
 書きたいことを書いて発表するいうカルチャーを有してはいない。
  公務遂行のうえで、いろんなレポートやメモを書くが、公表す
 ることを前提としていないし、公表する場合も自分の個人名で発
 表することは稀である。とはいっても、もちろん専門誌などに請
 われて公務について書くこともあるが、それは個人名であっても、
 なんでも好き放題書けるわけでない。"
        (中略)
"要するに、環境役人である限り、環境関連の論文を自発的に書く
 ことは絶えてなかった。
  大学という世界はまったく別のカルチャーの世界であるが、長
 らく役人として染み付いたカルチャーは簡単には変えられない。"

わたしはこの2つのカルチャーに接する仕事をしていますので、ここ
でいわれていることはよくわかる気がします。行政のあり方を改善
していくためには、その内部がどうなっているかについて、事情を
よく知ったひとが個人の視点で情報を発信していくことも必要なの
ではないかと思いますが、そういうカルチャーは、まだありません。
そのことを考えると、このように行政の仕事をしていた方が大学の
教員として情報発信される内容は、いろいろな意味で貴重だと思い
ます。そこから何をひきだすかというテーマは、読む側にひらかれて
いるのではないでしょうか。

そう思って、「[B] 環境漫才への招待」というページにあるいくつか
の文章をよみました。このなかの"環境行政ウオッチング「環境行政の
人的側面」"とか、"H教授のエコ講座「独断と偏見の地方環境行政論」"
という文章などには、体験したひとにしか書けない視点がふくまれて
います。くだらないと思う方も多いかもしれませんが、本気で行政の
あり方をよりいいあり方に変えていこうと思うなら、ここで書かれて
いるような事の側面をさけて通ることはできないのではないでしょうか。

"役所は決して特殊な社会ではない。日本社会を映し出す鏡のような
 ものである。"という文などは至言(?)かもしれないと思いました
 (というのもちょっとおおげさですが)。

"地方公務員は上に弱いって感じた。"ということばにも、ああそう
 なのか、やっぱりそうなんだなあ、と思わされました。

自然再生事業については、"H教授のエコ講座「自然再生事業と国立
公園」"という文章でこんなふうに書かれていますね。

"―でも、これって土木的、工学的なハード事業に傾斜しすぎだと思う
 な。オカネもかかるし、形だけ蛇行河川に戻してもホントに自然再生
 できるのか。多くの場合、自然環境ってのは、人為を拒んできた環境
 じゃなくて、ヒトと共生してきた結果なんだ。別にヒトが共生しよう
 としてやったのじゃないけど、生きるために干渉してきたし、そうい
 う生き方、ライフスタイルを何千年とやってきたんだよね。里山なん
 てのはそういうライフスタイルが生み出した環境なんだけど、それが
 完全に滅んだ現在、昔のような里山を維持するのが不可能になってし
 まった。つまり工業化・都市化に伴う古典的な公害は「病理」だった。
 病理はクスリで直せる。だけど自然と生活との共生の様相が変貌した
 というのは文明の病理というより「生理」だよね。生理を変えるのは
 本来的には日々の「鍛錬」しかない。いま、その「鍛錬」ができるか
 どうかが問われているんだけど、環境省はその部分をNGOに期待し
 ているみたいだな。"

財政状況からみても、人員の面からみても、また考え方の面からも、
「鍛錬」の部分を行政だけにまかせることができないのはあきらかです
ね。それをやろうとしたときに、既存のしくみがじゃまするというよう
なことがあるのなら、それをなくすよう動く、というのが行政の仕事に
なるのではないでしょうか。ただ、「鍛錬」をやろうという動きが社会
の側になければ、どうにもなりません。

次の点は、このメーリングリストでも話題になったことがありますが、
わたしもそのとおりだと思います。

"つまり日本は役人のきわめて少ない国家なのである。"

"もちろん、暇そうでろくな働きもしないくせにえらそうにしている役人
 がいっぱい目に付くことは事実であるが、問題は役人の使い方である。
 必要なところにはどんどん数を増やし、不要なところはどんどん減らす
 とともに、もっとフレキシブルな使い方を考えねばならないのでなかろ
 うか。"

山口さん:
> 根本的な問題意識と、仮説検証のために腰をすえた調査研究がされにく
> いのは(成果がすぐに出ないので)どこでも同じですが、日本では特に
> お金を支配している連中が短期(同じ職務に留まる期間)ですので、タ
> イムリミットが短いようです。

山口さんのこのご指摘には溜飲がさがる思いがしましたが、わたしの場合、
ひとごとではありません。こういうことをわかる層が、行政のなかには薄い
し、それは市民の意識の反映であるような気もします。ただ、これは変わる
かもしれませんね。

鷲谷いずみ著『自然再生―持続可能な生態系のために』(中公新書)のなか
にこういう一節がありました。

"ニュージーランドの生物多様性の「衰退の軌跡」と、ニュージーランドを
 ニュージーランドたらしめる独特の「固有の種」について国民が理解した
 とき、「流れを変える」ことができたのだと、ローダーさんはいう。"

その意味でも、山口さんのこういうご研究の意味がもっと広く理解される
ようになるといいなとわたしは思います。地球には、まだ汲めどもつきない
謎がありますね。面白いなあ。

山口さん:
> これまで集めた表現型のデータから見ると、海流による幼生分散
> のリンクも重要ですが、地域集団の遺伝的特性(形態、色彩、模様
> の集団としての特性、なかには遺伝支配かどうか不明の部分を
> 含め)が見られます。温度環境の違いで成長も違うでしょうし、
> 日本の地質的な多様性を反映させて砂にも多様性があり、
> 背景色と貝殻の色の関係で地域選択が起こっているようでも
> あります。とにかく、とても複雑なので、読み取りに苦労しています。

> 強い海流は幼生の運搬に関わるだけでなく、バリヤーにもなっている
> ようです。

  須賀 丈


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