[BlueSky:06238] 「悪人礼讃」の全文


[From] "genngorou" [Date] Sat, 20 Nov 2004 00:15:15 +0900


先日、少し、過激な書き方で紹介した、「悪人礼讃」ですが、全文
がネット上にありましたので、持ってきました。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/pro-16.html

私は、最近、はじめて、これを読み、私なりに、なるほどと感心しま
した。しかし、それは、いつもの私なりの解釈である可能性がありま
す。ないしは、作者の意図することとはまったく逆の解釈をしている
可能性までも、私のことですから、あります。(私の解釈は、前回の
メールに・・・)
なので、もし、可能であるなら、他の方が、下記の文章を読んで、
どの様に感じたかとか、どう解釈できるかなどということをお聞か
せ願えればと思っています。よろしければ、教えて下さい。
今回は、純粋に、意見をお聞きしたいと思っております。

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  悪人礼賛
           中野好夫(1949.10)
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 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情との2つにつきる。

 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものは
ないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人
から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な
悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは、かえってほとんどないからで
ある。悪人というものは、ぼくにとっては案外始末のよい、付き合い易
い人間なのだ。という意味は、悪人というのは概して聡明な人間に決
っているし、それに悪というもの自体に、なるほど現象的には無限の
変化を示しているかもしらぬが、本質的には自らにして基本的グラマ
ーとでもいうべきものがあるからである。悪は決して無法でない。そこ
でまずぼくの方で、彼らの悪のグラマーを一応心得てさえいれば、決
して彼らは無軌道に、下手な剣術使いのような手では打ってこない。
むしろ多くの場合、彼らは彼らのグラマーが相手によっても心得られ
ていると気づけば、その相手に対しては仕掛けをしないのが常のよう
である。

 それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一
に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意
であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考え
ているらしい。

 かりにぼくがある不当の迷惑を蒙ったと仮定する。開き直って詰問
すると、彼らはさも待っていましたとでもいわんばかりに、切々、咄々
としてその善意を語り、純情を披瀝する。驚いたことに、途端にぼくは、
結果であるところの不当な被害を、黙々として忍ばなければならぬば
かりか、おまけに底知れぬ彼らの善意に対し、逆にぼくは深く一揖し
て、深甚な感謝をさえ示さなげればならぬという、まことに奇怪な義務
を員っていることを発見する。驚くべき錦の御旗なのだ。もしそれ純情
にいたっては、世には人間40を過ぎ、50を越え、なおかつその小児の
如き純情を売り物にしているという、不思議な人物さえ現にいるのだ。
だが、40を越えた純情などというのは、ばくにはほとんど精神的奇形
[ルビ:モーローン。註]としか思えないのである。

   註 [2001.6.8.]:原語はmoron。ギリシャ語の「愚か」に由来し、
     わがiMac内臓の小学館ランダムハウス辞書には、
     「【1】 (一般に)愚か者,ばか,まぬけ.【2】心理「軽度精神薄
      弱者. 【3】性的変質者.」とある。(上記註2002.11.22差換
      変更。別掲載記事で変更したものを反映し忘れていた
      ため)

 それにしても世上、なんと善意、純情の売り物の夥しいことか。ひそ
かに思うに、ぼくはオセロとともに天国にあるのは、その退屈さ加減を
想像しただけでもたまらぬが、それに反してイアゴーとともにある地獄
の日々は、それこそ最も新鮮な、尽きることを知らぬ知的エンジョイメ
ントの連続なのではあるまいか。

 善意から起る近所迷惑の最も悪い点は一にその無法さにある。無
文法にある。警戒の手が利かぬのだ。悪人における始末のよさは、
彼らのゲームにルールがあること、したがって、ルールにしたがって
警戒をさえしていれば、彼らはむしろきわめて付合いやすい、後くさ
れのない人たちばかりなのだ。ところが、善人のゲームにはルール
がない。どこから飛んでくるかわからぬ一撃を、絶えずぼくは恟々と
しておそれていなければならぬのである。

 その意味からいえば、ぼくは聡明な悪人こそは地の塩であり、世
の宝であるとさえ信じている。狡知とか、奸知とか、権謀とか、術数
とかは、およそ世の道学的価値観念からしては評判の悪いもので
あるが、むしろぼくはこれらマキアベリズムの名とともに連想される
一切の観念は、それによって欺かれる愚かな善人さえいなくなれば、
すべてこれ得難い美徳だとさえ思っているのだが、どうだろうか。

 友情というものがある。一応常識では、人間相互の深い尊敬によ
ってのみ成立し、永続するもののように説かれているが、年来ぼく
は深い疑いをもっている。むしろ正直なところ真の友情とは、相互
間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続性をもつものでは
ないのだろうか。

「世にも美しい相互間の崇敬によって結ばれた」といわれるニ−チェ
とワーグナーの友惰が、僅々数年にしてはやくも無残な破綻を見た
ということも、ぼくにはむしろ最初からの当然結果だとさえ思えるの
だ。伯牙に対する鍾子期の伝説的友情が、前者の人間全体に対す
るそれではなく、単に琴における伯牙の技に対する知音としてだげ
で伝えられているのは幸いである。伯牙という奴は馬鹿であるが、
あの琴の技だけはなんとしても絶品だという、もしそうした根拠の上
にあの友情が成立していたのであれば、ぼくなどむしろほとんど考
えられる限りの理想的な友情だったのではないかとの思いがする。

 友情とは、相手の人間に対する9分の侮蔑と、その侮蔑をもってし
てすら、なおかつ磨消し切れぬ残る1分に対するどうにもならぬ畏敬
と、この両者の配合の上に成立する時においてこそ、最も永続性の
可能があるのではあるまいか。10分に対するベタ惚れ的盲目友情こ
そ、まことにもって禍なるかな、である。金はいらぬ、名誉はいらぬ、
自分はただ無欲でしてと、こんな大それた言葉を軽々しく口にできる
人間ほど、ぼくをしてアクビを催させる存在はない。

 それに反して、金が好きで、女が好きで、名誉心が強くて、利得に
なることならなんでもする、という人たちほど、ぼくは付合いやすい
人間を知らぬのだ。第一、サバサバしていて気持がよい。安心して
付き合える。金が好きでも、ぼくに金さえなければ取られる心配は
ないし、女が好きでも、ぼくが男である限り迷惑を蒙るおそれはな
い。名誉心が強ければ、どこかよそでそれを掴んでくれればよいの
だし、利得になることならどんなことでもするといっても、ぼくに利権
さえなければ一切は風馬牛である。これならば常に淡々として、君
子の交りができるからである。

 金がいらぬという男は怖ろしい。名誉がいらぬという男も怖ろしい。
無私、無欲、滅私奉公などという人間にいたっては、ぼくは逸早くお
ぞ気をふるって、厳重な警戒を怠らぬようにしてきている。いいかえ
れば、この種の人間は何をしでかすかわからぬからである。しかも
情ないことに、そうした警戒をしておいて、後になってよかったと思う
ことはあっても、後悔したなどということは一度もない。

 近来のぼくは偽善者として悪名高いそうである。だが、もしさいわい
にしてそれが真実ならば、ぼくは非常に嬉しいと思っている。ぼく年来
の念願だった偽善修業も、ようやく齢知命に近づいて、ほぼそこまで
到達しえたかと思うと、いささかもって嬉しいのである。

 景岳橋本左内でないが、ぼくもまた15にして稚心を去ることを念願と
した。そしてさらに20代以来は、いかにして偽善者となり、いかにして
悪人となるかに、苦心修業に努めて来たからである。それにもかかわ
らず、ぼく自身では今日なお時に、無意識に、ぼくの純情や善意がぼ
くを裏切り、思わぬぶざまな道化踊りを演じるのを、修業の未熟と密か
に深く恥じるところだっただげに、この定評、いささかぼくを満足させて
くれるのだ。

 もっとも、これはなにもぼくだけが1人悪人となり、偽善者たることを
念願するのではない。ぼくはむしろ世上1人でも多くの聡明なる悪人、
偽善者の増加することを、どれだけ希求しているかしれぬのである。
理想をいえば、もしこの世界に1人として善意の善人はいなくなり、
1人の純情の成人小児もいなくなれば、人生はどんなに楽しいもの
であろうか、考えるだけでも胸のときめきを覚えるのだ。その時こそ
は誰1人、不当、不法なルール外の迷惑を蒙るものはなく、すべて
整然たるルールをまもるフェアプレーのみの行われる世界となるだ
ろうからである。

 されば世のすべての悪人と偽善者との上に祝福あれ!

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