[BlueSky:06166] Re: 遺伝子と選別教育


[From] yogo [Date] Wed, 6 Oct 2004 09:35:18 +0900

横から口を挟んで済みません。余語と申します。

<011401c4a00d$4e06bd20$e77ffea9@pithy.jp> の、
"[BlueSky:06125] Re: 遺伝子と選別教育" において、
""driad" <driad@k2.dion.ne.jp>"さんは書きました:

> 日本国憲法第二十六条:
>  すべて国民は、法律の定めるところにより、
>  その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
>
> その「能力」の測定方法の精度が上がることで
> 困る人がいるとはとても思えないんですが…
現行の「教育」が、育てることよりも「選別」する存在になっていて、
どうみても「こいつにこれを求めるのは厳しいだろ」というような課題を
与えて、結局、「できない」と評価し、「やっぱり自分ダメな人間だから
その自分に納得して分相応の生き方をしないといかんのか」と説得する、
そんな手段になっているように思われるのですが、現状の「教育」には
なんとか「努力」することで、ちょっとは上のランクの人間と判定して
貰えるようなチャンスがあって、遺伝子による選別では、その努力の部分
もなく、自動的にランク分けされてしまうのではないか?という不安・不満
が起きてくるのではないかと思います。

そうではなく、その人の「特性」に応じて、”より”適した「学習の場」が
用意され、その「特性」の方向性によって、結果、貧富の差が生じないような
社会的な受け皿(それぞれの特性から生産されるものの価値によって貧富の差
が生じないような。これが難しい?)が用意されれば、持って生まれた能力
とは違う尺度で選別されて、ダメ人間と烙印を押されてしまう現状よりは
いくぶん良いのでは?とも思います。
もちろん、「努力」したり結果を出せば、良い評価がされ、そうでなければ
悪い評価がなされるという、選別はアリでしょう。

「教育」というもののとらえ方の違いなのではと思いました。
もしくは、「能力」の生かし方の方向によって、行き着く先に貧富?の「差」
が生じてしまうような社会的な価値がある上では、その方向性をあらかじめ
決められることが大きな問題をもつ、という危機感でもあると思いました。

「遺伝子」による「選別」「教育」が、人の人生を選別するための教育ではなく、
受けることの出来る教育がより適したものに選別される、という方向ならば、
抵抗感はぐっと低くなるのかもしれませんね。

教育現場としても有りがたいかもです。
教師はなんとなく「こいつはこれ向きだよなぁ」と判断して、その生徒に合った
役割を振り分けたり、「こいつにはこう言った方が効果的だなぁ」と判断して
話しかける内容を変えたりします。それが上手い人が「クラス経営の上手い人」と
言われているようなものです。

また、遺伝子で本当にその人の特性が判定できるのなら、「変に向いてない方向に
努力するより、向いてるところで頑張った方が効率が良いやね」と、自ら判定して
もらいたがる生徒は、少なくはないかもしれないですね。

ミスジャッジがないと仮定してですけども。。。
------------------------------
余語 宗紀 (よご)
yogo@mb.neweb.ne.jp


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。