[BlueSky:06160] Re: 06159 あなた(私)は何も分かっていない


[From] "genngorou" [Date] Mon, 4 Oct 2004 23:46:30 +0900


ゲンゴロウです。

経済至上主義(至上主義)はどうなのか?は、
ゆっくり考えたいこと。。きょうは、、こんなことを・・・、

−−−

荻野さん、こんばんは。
私が言いたくても言えなかったことを荻野さんが、長い時間を
使い、考え、言って下さったような気がします。
荻野さんは、私の意見「人間の個人的な怒りは自分の脳の
混乱。高度な脳の獲得が大切」に対して、「哲学不在。学問
化してしまって実践が広まらないことが問題の本質。脳の高
度化ではなく精神性を高めること。」とおっしゃりながらも、、
「自分の脳の混乱」ということを再度考えてくださりました。
自分の論を、少し横に置いていて考えて下さり、ありがたいな
と思いました。
  自分の考え方を横に置くためには、自論をずっと脳の
中で維持回転させながら、別な論(他者の思考)を転回させ
るので、それこそが、すでに「高度な脳処理だと私は思いま
す。
その処理は、おそらく、とてもエネルギーが必要なことで、栄
養の悪い脳、訓練されていない脳にはそのパワーがなく、
出来ないというより、なかなかやりたがらないと思います。そ
して、「出来ないからやらない。やらないから出来ない」と悪
循環に陥る。。
で・・・、
荻野さんのこの脳内処理こそが、今回、荻野さんが言われこ
とに関係していることだなと思いました。
脳力がないと、断片的にしか思考できない、あるいは、持続
(連続)させることができなくなり、一貫性がなくなったり、脈略
の喪失が起こるのだと思います。
 #ただし、「一貫性、脈絡」が本当にないのと、「脈略なく見え
 #る」違いがあります。荻野さんの、この投稿にしても、見る
 #人が見れば、脈絡のない支離滅裂なものに写るかもしれ
 #ません。
 #脈略を取りきれない人には、脈略が見えないので、
 #実にやっかいです。。

ところで、そういう脳の力がないことを、一言で言えば、「頭、悪
いな〜」となるのだと思いますが、私としては、現代の様に、
様々な情報が脳に押し寄せたり、日々の変化速度が速い場合、
人間の脳が機能を無視されやすくなっている環境があるのでは
ないかと思えてしまいます。
簡単に言えば、考える時間が取りあげられているというような。。
他者に考えるゆとりを与えない人間社会というか・・・。

−−−
次に香山リカさんの本を読んだことは一度もないのですが、
私の言っていることに似ているなと思いました。しかし、ちょ
っと、私なりの見解があります。

 今、脳の障害に関しては、DSNLとか、DSMとか、ADHDとか、
最近、その呼び名が多いようですが、私としては、程度もある
かもしれませんが、それらは病気とか症状ではなく、単に脳の
状態でしかないように思ったりします。以前なら個性の範囲だっ
たのではないか?と。。。で、そのいろいろな個性の人は、けっ
こう自分で、周囲とぶつかりながら痛い思いして、なんとか社会
に適合していたのではないでしょうか。
 ところが、最近は、それを病気・症状として区別してしまってい
ます。結果、その症状だと言われた者は、その区別を認知させ
ようとまでしている。(不当な)差別はいやだけど、区別はしても
らいたいなどと・・・。
香山リカさんの職業から言えば、そういう存在を出現させること
で、自分の存在感もハッキリしてきますので、必然的に、そうい
った顕著な区別(差別化)を行ってしまうのでしょう。
その区別(差別化)は学問上は、いいのですが、それに対して、
病的なイメージを与えているとすれば、どうかな?と、私は思い
ます。脳の個性、脳の傾向と考えたほうがいいと思います。
新しい区分は、なかなか認知されないので、「〜〜症状」という
名前を付けてしまうのではないかと思います。

 ところで、様々ことを、いろいろ区別すれば、際限なく区別する
ことが出来、結果、様々な分類が出てきて、必然的に、その区別
されたものを知らなかったり、理解できない人がたくさん出て来ま
す。で、よく、その症状(個性)の人の口から、その区別を知らない
ことを持って、まるで人権無視の様な言動がでることがありますが、
おかしな事が始まるな、、といつも思います。
 ある行動をしたいという欲求を持つ者は、相手が理解しないと、
「無知」を持ち出したり、ひどい場合には精神障害というレッテルを
貼ることが、ほんとに多いのです。中には、自分に障害というレッテ
ルを貼って、どうだ!そういう障害者を攻められるか!と言わんば
かりに、論を論じてくる人間までも登場しているようです。
 最近、香山リカさんなどの本が売れるのは、他者を障害者に仕立
て上げることも可能だからではないかと、、さえ、私は思ってます。
 極端なことを言ってしまえば、社会参加できない者は、閉じこもっ
ていてもいいのだと、私は思います。現状ではそれがいいかもと。。

荻野さんの、
    >  働くにしても、学ぶにしても、自分以外の外部とやり取りしないと
    > いけない訳で、生きているのもつらい病気の方々には無理だということ
    > だったりして・・
と似ているかもしれませんが。。。

で、、、
 人から、コミュニケーション能力を奪えば協調性はなくなり、
まるで障害とか病気の様に見え、悪循環が始まり、生きることさ
えできなくなり、自分の維持だけで精一杯になってしまうなんてこ
とかも、、です。
親、あるいは、教育者、あるいは政府は、その時々、望む人間を
欲するあまり、その時々の子ども達の脳の発達を阻害してきたの
かもしれないなどとも思ってしまいます。エネルギーを出来るだけ
使わないで生存しようとする生物がいるように、考える者に対処
する脳エネルギーを少なくするために、子ども達を、うるさく邪魔
な存在に成長することを妨げ続けた結果ということもあるのかも
しれません。。

[06155] でgenngorou:
> >発想って、脈略の説明をする必要性を課せられては、
> >よい発想は出すことは出来ないのではないかと思うのです。
> >だから、まずは、脈略なんて考えずに、脳に任せるほどに
> >良いのだ!と思っていたりします。
>
>  脈絡の喪失が解離性障害であるならば、はたしてゲンゴロウさんは
> 「脳の混乱」を解消したいのか増長しているのか。

アハハハ、、そうとられてしまいましたか。。。
私が言うのは、脈略が考えられる人の話で、かなり優れて
いる人は、今度は、その脈絡をはずすことさえも出来るのでは
ないかと思っての発言でした。なにしろ相手は、葛貫さんです
から。。葛貫さんは、そういう人だと判断しているから言いました。
脈絡がメチャクチャな人には言えないです。
しかし、実は、
誰もが脈略がメチャクチャということは、ないのかもしれません。
言っている言葉の中に、なにかが説明されていないだけで、そ
の説明されていないことを探せば、実にすごい脈略(関連性)が
あるのかもしれないと思います。
キチガイとテンサイは紙一重、、って、そんなところなのかもしれ
ません。キチガイに見える人の言動でも、脈略を探してみれば、
「なんと!そんな関連づけをしているか・・・」と、いうこともあるか
と思います。

>  提示された問題はぐるりと向きを変えて自分を撃ちます。

言ったことが矛盾していれば撃たれて当たり前ですね。
本当には死にたくないので、矛盾があれば、自分の為に
知りたいです。

> 私は「自分が何も知らないバカである」という可能性を
> 直視して、不安を自ら引き受けることが出来るのか。

「何も知らない」ことが事実なら、決して不安を生むのではなく、
事実を知ったという安心感が生まれるってこともあると思うの
です。その安心感は、かなり脳(こころ)を軽くする様な気がします。

>  もう病気になってしまっているなら手遅れかもしれないけれど、
> まだ手遅れではないのなら、立ち向かってみなければ始まらないのでしょう。

私、自分の脳と、立ち向かってきました。
中学校の時、自分の話は支離滅裂だと気が付きました。
私の話、アッチコッチに飛ぶのです。今もですが・・・、、。。
とにかく、それで、自分を観察して分かったのですが、私に
限らず、人って、ほんとに支離滅裂なのですね。でもそれは、
一見してであり、実は、それは、人間の生存能力で、集団の
中でもアリの様に様々な所へ行く性質があり、かつ、一人の
人間の脳の中でも、アッチコッチへ行く性質があるようです。
また、それとは逆に、一つのことに固執するタイプの人間も
いるのです。ずっと一つのことに集中でき、決して考えを変
えない人も・・・。
どちらが、どうなのか、は、「個人としてどうよ?」と考える
場合と、「集団としては、どうよ?」と考えることで、違って
くるようで、それは、障害とか病気というより、それなりに、それ
ぞれ、際だった能力と考えられなくもないな〜と思うのです。
どうでしょうか。。









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