[BlueSky:06159] あなた(私)は何も分かっていない


[From] "荻野 行雄" [Date] Mon, 4 Oct 2004 08:57:10 +0900

 荻野です。

 [06096] genngorou さん
>人間の個人的な怒りも、結局は、自分の脳の混乱の様な気が
>するのですが、・・
>紛争回避は、私たちの脳の本質的な高度化しかないような気が
>します。

 私が怒る時というのは、人に対して
「あなたは何も分かっていない。」と怒ることが多いです。
必ずしも、自分の頭が混乱しているわけではない。
 相手の無理解が、さらに言えば無理解の無自覚が頭にくるわけです。
普通そうではないでしょうか。

 つまり、無知の無知が問題であって、
「哲学」の不在、学問化してしまって実践が広まらないことが
問題の本質だと思います。
 目指すべきは、「脳の高度化」ではなく「精神性を高める」
ということでしょう。

 ・・と、最初は思ったのでした。
(池田晶子氏の「14歳からの哲学」でも読めばいいのに・・)


 しかし、本質的には哲学の問題だとしても、実際問題いきなり
それでいいのか、「自分の脳の混乱」ということの中身を考えられないか・・
これっでも、「ご乱心」てことじゃないの、病気かヤク中??
と考えていたら、新聞の書評欄に、精神科医 香山リカ氏の
「<私>の愛国心 ちくま新書」が紹介されていました。
 日本(政府)も、アメリカ(政府)も、精神病で、昨今の
「愛国心」も、その結果であるということらしい。
 早速読んでみました。

 現在の日本→個人のレベルにおける一貫性や脈絡の喪失つまり
       人格の「断片化」と、社会全体における時間の連続性や歴史と
      「今、ここで」の事実とのパワーバランスの著しい偏りが
       同時に起きている
   →「解離」を起こしている(解離性障害)と考えられる。
        社会的大問題から自分を切り離し、不安や恐怖を
       ごまかすための<他人事感覚><視野狭窄傾向>  
 <連続性の喪失><内向き姿勢> 
       
 アメリカ →「我々の味方か、テロリストたちの味方か」
       「黒か白か」の極端な二分思考に陥り、また
       「考える前にとにかく行動」
   →「境界例」(人格障害)と考えられる。      
        自分の心の中の葛藤に直面することを嫌う。
       その結果熟慮せずに「大好き」「大嫌い」の二極化した
       判断を下し、何かの刺激でその原因と全く無関係な
       破滅的行動を突然起こす。

 「解離性障害」「境界例人格障害」という疾患は、近年
日本・アメリカとも激増中であるらしい。
 現代社会が生み出してしまう不安や葛藤をごまかすために、
国のレベルでは、より強く正しい国であることを求め、それを信じる
=>「愛国心」 
 個人のレベルでは、自分の身の回りのことにしか関心を示さず
「自分以外はすべてバカ」だと周りを攻撃する。
 それでも不安が忍び寄ってくるのか、最近の若者の多くが
「生きづらさ」を感じているらしい。   


 [06148] 小宮さん
>NEETと呼ばれる若年無業者が急増しているそうです。
>
>「働く意思も学ぶ意思もなし 「若年無業者」急増52万人」 yahoo news

 働くにしても、学ぶにしても、自分以外の外部とやり取りしないと
いけない訳で、生きているのもつらい病気の方々には無理だということ
だったりして・・


[06125] driadさん
>別に検査の手段が面接であろうが学科試験であろうが
>IQテストであろうが遺伝子検査であろうがどれでもいいでしょ
>優れていそうなものをより優れて欲しいと願って育てることの
>何をそんなに恐れるんでしょうか

 遺伝子検査というのは、身の回りのことのようでもあり、
全く外の世界のことのようでもあり・・・これは恐い。
いつの間にか「自分がバカだ」ということにされちゃったら・・
ああ恐ろしい。ということかもしれないですね。
 本当は検査結果に対応した教育方法というのを確立できるのか、
ということの方が議論すべき問題だと思われますが、
すでに国を挙げて病気であるなら、それは無理な注文でしょうし。


[06155] genngorouさん
>発想って、脈略の説明をする必要性を課せられては、
>よい発想は出すことは出来ないのではないかと思うのです。
>だから、まずは、脈略なんて考えずに、脳に任せるほどに
>良いのだ!と思っていたりします。

 脈絡の喪失が解離性障害であるならば、はたしてゲンゴロウさんは
「脳の混乱」を解消したいのか増長しているのか。

 提示された問題はぐるりと向きを変えて自分を撃ちます。
私は「自分が何も知らないバカである」という可能性を
直視して、不安を自ら引き受けることが出来るのか。
 もう病気になってしまっているなら手遅れかもしれないけれど、
まだ手遅れではないのなら、立ち向かってみなければ始まらないのでしょう。

 「私は何も分かっていない」 



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