[BlueSky:06131] その2 「『人格』より『人材』づくり ヒトゲノムで選別も?」にコメントを。。


[From] "genngorou" [Date] Fri, 24 Sep 2004 01:06:10 +0900


・・・つづき

> ■「遺伝情報検査就学時に実施」
>  この発言の重さは単に毛利氏個人の考えでないところにある。二〇〇
> 〇年に教基法「改正」の答申をした首相の私的諮問機関、教育改革国
> 民会議の江崎玲於奈座長は同年、ジャーナリスト斎藤貴男氏のインタ
> ビューにこう答えた。
>
>  「遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってき
> ました。(中略)いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子ど
> もの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」(『機会
> 不平等』文春文庫)

この江崎玲於奈氏の話の内容は、エリート主義が事実、現在すでに
存在しているということを抜きにすると、とんでもない発言になります
が、現在のエリートを望む国際競争の中での経済界を考えれば、
精度の高い推測であり、その推測の内容を、江崎氏の望む主張と考
えるのは間違っていると思います。占い師が、占い、その占いの結果
が惨憺たる未来であったら、占い師を殺そうとするのは間違っている
と思います。

>  一九九〇年代後半の文部省(当時)教育課程審議会元会長で、作家
> の三浦朱門氏もこう話している。
>
>  「(戦後教育で)落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた努
> 力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、
> やがて彼らが国を引っ張ってきます。限りなくできない非才、無才には、
> せめて実直な精神だけを養っておいてもらえればいいんです」(同)

この三浦氏の発言は、
「教育を能力のある者にではなく、能力の無い者にもせめて、実直な
精神だけは養ってあげられるような教育環境を整えないとならない!」
と言ったのではないかと思います。そうでないと、
下記の記事内容での、「同じ方向性の言葉が鳥居氏から漏れた」が
成立しませんので・・・・。

>  松山の対話集会でも同じ方向性の言葉が、パネリストの鳥居氏から
> 漏れた。
>
>  「米国がレーガン政権下の八三年に出した報告書は『優れた国民をつ
> くるには、大変なコストがかかる。しかし、長期的にみるともっとコストが
> かかることがある。凡庸な国民を大量につくってしまった時の後始末で
> ある』という印象的な言葉で締めくくっている。この言葉を日本も大切に
> しなければならない」

これは民主主義の原点に関わる内容の話だと思います。
民主主義とは、「全ての人々が支配者(権利執行者)であり、且つ、
被支配者(義務履行者)である」ということであり、そのことを全ての
人々が理解しないことには成立しないと私は思います。
「全ての人の理解、履行、参加」には、全ての人の「質の向上」
が不可欠な訳で、その為に対話が必要であり、その対話こそが、
人々の支配者としての達成と同時に、今となっては暗黙の必要条
件となった「啓蒙」があるのだと思います。
この全員参加、全員履行には「優れた国民」が必要で、民主主義下
では、国民が愚かだと、衆愚政治が行われ、その後始末が大変で
あるというのは、かの世界大戦の日本の国と、その人々であると、
鳥居氏は言っているのだと思います。右翼が聞いているのでこうい
ったボカした発言になってしまうのかもしれません。

>  ヒトゲノム研究が「優生思想」の助長につながりかねないという論議は、
> これまでも絶えなかった。

ヒトゲノムを参考程度に留めずに、強制選別の基準に使うと、
優生思想になるのだと思います。バカとハサミとヒトゲノムの
使い方しだいなのかもしれません。

>  教育評論家で法政大学教授の尾木直樹氏は「教育に関連して、ヒトゲ
> ノムうんぬんという話が語られるのは科学主義の落とし穴だろう。人類の
> 平和主義という理念が抜けてしまえば、何のための科学なのか。そうい
> うことが相次いで、平気で語られてしまうのは、弱肉強食が進む社会の
> 表れではないか」と危ぐする。

この尾木氏の発言は、さらに物事の本質に関して考えている
発言だと思いました。民主主義の具現化として、自由を追う資
本主義と、平等を追った社会主義とが生まれ、民主主義が分
裂してしまい、現在の教育に関する考え方は、その先にある
わけですが、そうではなく、民主主義を生んだその原理である
人間主義へ立ち返っての、競争主義(競争は人類平和には大
切である)という考え方への再考であると思えます。
 
 私、個人の考えが、ここにあり、さらに、これを考えると、困惑
をしてしまうことがあります。
私自身、手放しの競争では、貧富の差、支配階級の誕生などを
生むので、競争を止めることが出来ないのか?とか、競争主義
的な思考を改めることが出来ないのか?と考えるのですが、実
は、人間の本質が「競争生物」であるのかもしれず、さらには、
その様に見えるが、実は、競争ではなく、「知らざる事を知った人
間の未知探求の方向性が宿命として人間にある」のではないか
と思い、どうしようもないのかな、、、と思ってしまいます。

つづく。

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