[BlueSky:06130] その1 「『人格』より『人材』づくり ヒトゲノムで選別も?」にコメントを。。


[From] "genngorou" [Date] Fri, 24 Sep 2004 01:04:50 +0900


ゲンゴロウです。
私は私なりに一つの考えで・・・
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040729/mng_____tokuho__000.shtml
葛貫さんが、紹介して下さった、この記事↑に対して
コメントをはさんで、私なりの考えを見てみたいと思いました。
  #自分なりの考えでは、成長も出来ないので、他者の意見を
  #聞きたいです。特に、driadさんにはビシバシと言ってもらえ
  #ると、また考えることもできるかもしれません。
  #難しいので、返事は出来ないかもしれませんが・・・・

−−−−

> 『人格』より『人材』づくり ヒトゲノムで選別も?

この一行↑が、記事の内容を、誤解させているのかもしれませ
ん。
先に、私なりの印象を言うことになりますが、、、
タウンミーティングでの政府側出席者は、「人格より人材づくりを」
と言っているようには思えませんでした。その逆で、人格破壊を
起こしかねない、これまでの大学受験への教育から、人材づくり
へと、その仕組みを変えられるかもしれないという考え方のように
思えます。
遺伝子によるエリートの発掘により、社会全体のエリート主義を
阻止でき、その弊害そも取り除けるという考えがある様に思えま
した。

 「優秀な人材を求めること」は徳川の鎖国時代が終わり国際
競争にさらされた明治、それ以前から、すでに存在していたと思
います。しかし、人材発掘というのは、能力のみきわめが難しい
ために、教育を行ってみないと分からなかったので、万人に一律
の教育の機会を与えるという方法で、「結果的フルイ(経過的選
別)」を行わざるをえず、その弊害として、能力のない子ども、ある
いは努力の苦手な子ども、家庭環境が悪い子どもが置き去りに
され、最悪の場合には、人格破壊までも起こす人間まで出来て、
そのせいで社会負担が起こるまでになっているという事実があ
るような気がします。

 言ってみれば、人間の選別という観点で考えれば、ヒトゲノム
が解析されていない昔から、選別は元々あったわけです。その
選別は、教育を実施しないと分からなかった。しかし、人間の能
力がゲノム分析により、事前に分かりそうになってきたということ
で、「あ〜、これで、人格育成の希薄な”経過的選別”教育が避
けられるかもしれない」と毛利氏は言っているのではなかと思い
ます。

> 教基法の改正 『機会均等』に暗雲
>  「国民の質を高める」。教育基本法(教基法)「改正」を視野に政府が
> 開いているタウンミーティングで、こんな発言が政府側出席者から繰り
> 返されている。子どもの早期選別に「ヒトゲノム」の活用も語られ始め
> た。同法「改正」問題では「愛国心教育」ばかりが注目されがちだが、も
> う一つの柱は国家や企業のための「エリートの養成」だ。戦後の平等
> 教育の理念は崩れるのか−。

戦後の平等教育というのは、万人に対する教育を受ける機会を
均等に与えることなのでしょうが、一方では、万人からエリートを
探すという方法であったような気もします。
「経過的選別」しか方法がない時代は、万人から人材を探すには、
万人に教育を行ってみなければ分からないわけです。
平等教育は民主主義的な考え方から来た方法なのだと思います
が、その民主主義の原理の一つ「人間の尊厳」で考えると、実際
の教育現場や家庭では、「経過的選別教育」により、人間の尊厳
を脅かしている事も起きていると思います。

「愛国心教育」についても言いたいのですが、別メールで・・・

>  「そういうのは差別っていうんじゃないですか」。会場から思わずヤジ
> が飛んだ。ことし五月十五日、松山市での国民対話集会「教育改革タ
> ウンミーティングイン愛媛」(内閣府主催)の会場。「教育改革」をテーマ
> にした対話集会は、昨年十二月の岐阜市を皮切りに三回目だった。

「差別だ!」という言葉を聞くと、差別と区別とを混同している場合が
多いことを痛感します。仕事などでも、「お前は、このところよく頑張
っているから、今日は楽な仕事を・・・」と言うと、別な者から”差別”と
か”えこひいき”と言う声が出ますが、頑張っている者を区別しないほ
うが差別だと、私は思います。
また、例えば、能力のある人間に、その能力を発揮させる機会を与え
ないこと、すなわち、区別を行わないことも、実は「差別」ではないかと
も思います。だからといって、体力がある人間(能力のある者)に重い
物を持たせた場合、能力があるから当然ということでも、まずい。重い
物は誰にも重い物であり、能力には関係ないと考えられます。
とにかく、区別は必要です。そして、不当な区別が差別であることを忘
れると、区別はたちどころに差別になってしまうと思います。

>  パネリストは河村建夫文部科学相のほか、教基法改正の答申を昨年
> 三月に提出した中央教育審議会(中教審)の鳥居泰彦会長、経済同友
> 会の北城恪太郎代表幹事、そして宇宙飛行士で日本科学未来館の毛
> 利衛館長の四人だった。
>
>  ヤジは閉会直前に毛利氏が語った発言に対してだった。内閣府のホ
> ームページによると内容はこうだ。
>
>  「昨年、ヒトゲノム、(すなわち)私たちの体をつくっている遺伝子情報
> がすべて読みとられた。それは一人ひとり違う。その差は残念ながら持
> って生まれた遺伝子の組み合わせの差だ。(中略)そこをどう埋めてい
> くのかが習熟度別学習であり、もっと伸びる子を伸ばす、それから今の
> ままではついていけない子をどう救うか、が重要だ」

上記の毛利氏の意見は、不当な区別(差別)ではなく、賢い
区別だなと、私は思いました。ただ、この区別が一人歩きを
始めて、選別が政府により、強制的に始まれば、それは決定
的な差別になると思います。

つづく。


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