[BlueSky:06088] Re: 06087 改題: 怒りと自然と人と神。


[From] "genngorou" [Date] Wed, 8 Sep 2004 23:24:47 +0900


こんばんは、ゲンゴロウです。

−−−
葛貫さん、お返事をありがとうございます。
きょうも、いろいろです。。。
考えながら書くので、いつも長くなってしまいます。
それなりに、お読み下さい。

ゲンゴロウ:
> > 同じ「クリイガが頭に当たるという現象」なのに、
> > 人が関与していると頭に来て、自然現象だ
> > と笑ってしまう。なんでなんでしょうか・・・。

葛貫さん:
> 人によって投げられたものだと、相手がはっきりしているし、今迄
> の相手との関係、周囲の状況等から、相手の意図を想像することも
> できる。交渉(negotiation)により、再発を防げるかもしれない。
> 自然災害だと、negotiateしようがないというか、こちらが譲歩し、
> 備えておくしかないという感じなのでしょうか。どの程度の備えが
> 適切なのか、自然災害と人災の境界を見定めるのは難しいですね。

 人が関与している事だと、確かに、相手がおり、さらに、その
相手に意図(意思)があり、それを想像することができ、交渉でき、
結果、再発を防ぐことも可能になりますね。
 人間が相手だと、損害賠償を取るとか、罰を与えるとか、謝罪を
させるとか、報復できるとか、明確に、そんなことまで出来ます。
しかし、自然災害だと、相手がいないから、事が起きた後に、後
始末とか、復興作業しかできず、しかも自分でやるしかない。。

伝わる相手がいなければ怒りの向け先もないから、怒っても仕
方がないですね。台風という「相手」には目があっても聞く耳は
ないので、言えないことが分かるから、自分がなんとかするしか
ない。
例えば、家が飛ばないように屋根に重い瓦を乗せたり、飛びそ
うなものを結わえたりする。もしも、屋根が飛ばされてしまったら、
相手は、どこかに消えてしまっているのですから、怒ることなど
できるはずもなく、後始末をするだけ・・・。。。
自然現象は、人間が何かをやって変えることができる「相手」で
はないから、怒りは生まれない。

葛貫さんのお話から、、、どうやら、「なぜ怒りが生まれるか」と
いうことに関しては、「相手」というものが、重要なキーワードに
なるような気がしてきました。

−−−

 もしも、自分に迷惑をかけた「相手」が猿だと、、どうなるかと
言えば腹も立つ。カラスだとどうなるのでしょうか。イルカだと。
馬だと。アリだと。。風で飛んできた看板だと。洪水だと・・・・。
もし、迷惑な犬がいたら、人間はどうするのでしょうか。

 もしかすると、人間は自分に都合の悪いこと、あるいは自分
を苦しめたこと、あるいは、苦しめるだろうこと、に対して、とに
かく何とかしようとして、、、
・「簡単に対処できる相手」に対しては、強制、抹殺、消去し、
 怒りは生まれない。
・「簡単に対処できない相手」、猿やカラスや人間に対しては
 腹を立てる。
・「全く対処できない相手」、自然現象には、理性的、科学的に
 対処する。。

こんなことを考えると、自然科学だけが人を理性的にしている
だけの様に思えてきます。裏を返せば、自然科学者だろうと、
「相手」が自然現象でない場合には、簡単に感情的になるよう
な・・・。

 話を元に戻して、人間って、なんとか出来る可能性があり、か
つ、それがなかなか出来ない場合に、感情的になる芽が出てき
て、そういう物事に対して、なんとかしようと頑張ると、その人に
は、怒り(あるいは悲しみ)が出てくる様です。
ということは、「怒り」って、、頑張る人につきものなのかもしれま
せん。

そうだとするなら、ある物事相手に、怒っている人を見たら、
「あ〜、この人は、その事に対して、何とか出来ると考えていて、
なかなかうまくいっていない状態だけれど、一所懸命に頑張っ
ているんだな。。。」と、思えばいいのかもしれません。
それが、自分の場合には、「あ〜、自分は、何とか出来ると考え
ていて、かつ、なかなかうまくいかないことに対して、一所懸命
だから、怒りも出ているんだな。。」と考えればいいのかもしれま
せん。。
違っているかもしれませんが、そんな気が。。。

> 今朝も東海地方で震度4の地震があり、先週に引き続き、九州全域
> が暴風圏になるような大型台風が来ていますね。
> 自然災害のことを天災と呼び、神の啓示とか、天罰とか、人に対す
> る意味を読み取ろうとした中世までの人達は、自然とnegotiateで
> きると信じていたのかなぁなどと、ふと思いました。

う〜ん、なるほどぉ。。これまた、気が付かなかったことです。
感謝、感謝です。

確かに、人柱とか、貢ぎ物とか、雨乞いの踊りなどがあったよう
ですから、人間は大自然に対して、交渉やお願いをしていますね。
確かに・・・。

そうすると、自然にアミニズム(擬人化)を持っているということは、
「自然を身近に感じている」と言えば聞こえはいいですが、その実
は、もしかすると、「なんとか出来る」という「おごり」の上に、祈った
り、謝ったり、物を差し出したりしていたということになるのでしょうか。
恐怖と無知が関係してのことことだとすれば、「おごり」とは言えない
かもしれませんが、どでかい自然現象をなんとかしようとしていた
ことは確かですね。
 ということは、人間の「なんとかしようとする想い」の延長上に、
自然へのアプローチもあったような気が・・・。。

こう考えると、なんか、昔の人への考え方がひっくり返りそうです。
ある意味、傲慢?でもあったようにも感じてしまいます。もちろん、
自然の正体を知らないから、ギリシャ神話のような神々も想像さ
れたのでしょうが、、、実は、人間の「何とかすればできる」という
強い人間独自の性格のために、自然を擬人化してしまい、「相手」
として、いろいろなことをし始めたということもあるのかもしれませ
ん。そして、思うようにいかない場合には、自然の神にも、腹を立
てたり、偶像を破壊したりしていたのかもしれません。
怒りを発散するための神でもあったりして・・・・。

 人間って、勝手なのかもしれません。そして、人間ってヤツは、
自然までも何とかしたいが為に「神」という人格を持った存在に仕
立て上げてしまったのかもしれません。
さらに、どうしても報復できない他者への怒りを納められないとき
にも、その神の力を利用して、天罰という罰を考え出したのかもし
れません。神にしたら、たまったものではないかもしれません。

−−−

・・・・また、神の話にしてしまいました。。すみません。。




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