[BlueSky:06053] Re: 株式会社による農業経営が解禁


[From] Sawaguchi Yuji [Date] Fri, 13 Aug 2004 13:42:07 +0900

澤口@一升金です。

Y.kuzunukiさんの<20040812193600X24%Sz@nifty.com>から
>考えてみたら,その変化は,そこに住んできた方達にとって望まし
>いものであるとは限らないし,よかれと思っての働きかけでも,
>その風土に合うか,そこに住み続けていく方達の暮らしを豊かにし
>て行くものかどうかは,長い目で見ないとわからないですね。
わたしは割合、いわゆる「町の人」との付き合いが多いのですが、
一番感じる感覚的差異は、時間スケールの違いですね。
たとえば、原野に畑をつくると、数年間はどう管理しても雑草が
はびこります。野生の植物は農作物と違って、サバイバルのため
に種子が蒔かれてから芽が出るまでは、数年のオーダーでばらつき
ます。
こういうのは除草剤を撒こうが手で抜こうがあまり変化しないので、
種子ができる前の草刈りとロータリー耕耘を繰り返せば5年目くら
いからは急激に少なくなりものです。
ところが、都会の人はだいたい半年度スケール以上では作業体系の
イメージが作れない。結果が出ていないのにいろいろいじりたおす
わけです。
NPOやベンチャーの活動などを見ていても、初年度あたりにテンショ
ンをむやみに上げてしまって、数年たつと惰性部分の方が多くなる
ようにわたしには思われます。
農業経営計画の改革では基盤の見極めが終わって技術スキルの充実
も見込める7,8年目に投資とテンションのピークがくるように工
程設計できてなきゃだめです。

もうひとつ、都会の人の感覚から抜け落ちているのは、農村では隣
近所を選べない、という点です。
都会でグループ活動する分には気の合わない人やビジョンの違う人
は協同していただかなくて結構、で話が済みますが、農地というの
は持ち運び不可能ですから、隣地の所有者がどんな人間であろうと
対等に面と向かって理解や協力を得る必要があります。
万引き常習のおばあちゃんやいつもナイフを持っている暴走族のあ
んちゃん、トラクターをいつも横転させているアル中のおやじや、
果ては地方公務員、国家公務員の類ともつきあわなければいかんの
です。
こういう場合に自律性を担保するのは、実体のある活動しかないわ
けですが、往々にして都会の人の活動というのは他人指向、説得指
向になっているわけですね。
都会のグループ活動では説得力のある人が運営リーダーになるのは
当たり前ですが、農業の感覚では説得力より事実・実績です。
農地の収穫というのは隠せませんから、何十年も隣同士でつきあっ
ていれば、議論するまでもなく、お互いの見通しの正しさ、技術ス
キルは格付けが済んでいますので、農家は企画提示力や説得力はほ
とんど使う場が無いし、訓練もされていません。
行動論理の構成基準が根本的に異なるのですが、都会から来た人は
とにかく自分の土俵と慣れたルールで物事の運営が決まる「べき」
という風に話をもっていきたがる傾向があります。


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。