完全に原稿からの逃避モードの横山です。
澤口さん久しぶりです。澤口さんの文章を見ると、一緒に食ったダチョウ
の濃厚な味が口の中に蘇ってきます。
> ンポがありまして、「鳥インフルエンザで健康な鶏までが殺され
> ているのは人間の身勝手で、可愛そうだ」という話がありました。
「勿体ない」と言う意味だったのでは?私も食べられる食物を捨てている
シーンを見ると時々「食べ物が可哀想だ」と感じたりします。
> でも、鳥インフルエンザ騒ぎが無くてもいずれ鶏は殺されるんだ
> よ。
そう言えば、脚本家の倉本聰さんが北海道で開いている「富良野塾」では
入寮式の後で新入生に鶏を渡して殺させる儀式をするそうですね。
その時の模様を先日テレビで見ました(肝心のところはカット)。
その時のナレーションとして倉本さんの声で「今まで鶏を食べたことが
ないなどとは言わせない。社会の中の何処かで誰かがそう言うことを
引き受けていてくれたことに気付くための儀式(と言う様な意味で表現は
不正確)」と言っていました。
動物だろうが植物だろうが、「食べる」と言うことはそのものの「命を引
き継ぐ」と言う事なので、只殺しているのとは違うのでしょうね。
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