ゲンゴロウです。
> なにやら大変な誤解があるようですが
だいじょうぶではないかと。。。
誤解はないような気がします。
driadさんの感じたとおり、私も感じてます。
読んでいただき、私の言いたかった本質をストレートに
言って下さり、ありがとうございます。
> > 結局、「群れ」と「組織」では、なにが決定的に違う
> > のでしょうか。
> > 「群れ」というのには、個体の意思と利害を上回る、集団意思の
> > ようなものは、ないようにも思えますが・・・
> 自ら群れたのならそれでも結構ですが
そういうことです。まさにそれです。
同じように感じる人の言葉を聞くのは、
ほんとにうれしいことです。
> > 情報伝達は、個から多数へ行うことが効率が良いので、その為
> > に、学校には児童が集められたのだと、私は思います。つまり、
> > 学校に児童が多くいるのは、効率追求の結果だということです。
> > その状態というのは、「群れ」でしかありません。ところが、
> 路地裏で遊んでいる餓鬼の群れならともかく
> 教育義務という地曳網で囲われ強制的に集められた魚たちは
> 自ら集まって魚群となったのではないでしょ
おっしゃるとおり、そういうことなのです。
> > その群れを、さらに利用して、学校行事や、学校活動が行わ
> > れると、そこには、必然的に社会が出来上がります。すると、
> > 先生達の中には、学校の生徒達を秩序ある組織集団である
> > べきだと考える者が出始める。そこに多くの弊害が生まれて
> > しまうようです。この「school=群れ」という語を学校に用いた
> > 人、あるいは、用いている人々は、まさに、それを忘れない様
> > にと、使っている様に、思えてなりません。
> 忘れないようになどというようなものでなく
> ただの欺瞞でしょ
欺瞞と言えるかは、難しいところです。
完全な世の中でないのですから、しかたがないのかもしれませ
ん。。。
欺瞞という言葉は、完全社会を願う気持ちから出てしまうのかも
しれません。それは、逆に、改善というものを考えない人たちと
同じ結果をもたらせてしまうようにも思えます。
学校の存在を欺瞞と言ってしまうと、すべての事が過渡期におい
て、欺瞞となってしまうかもしれません。欺瞞と片づけると、先が
ないような気になります。そうではなく、「そういう状態がある」と
いうことを忘れないで、なんとかしよう!ということが、大切なの
ではないでしょうか。しかし、driadさんの「欺瞞」というほどの気
持ち、私にも、すごーーーくあります。。
ところで、ある考え方をすれば、教育というものが「群れ」を「組
織」に変えるというものである、と、そういう意味で、初等義務教
育を授ける学校が、「群れ」と名を付けられたのかもしれません。
それは、また、別の、、人間家畜化のようなことを連想させてし
まいます。。教育は大切です。しかし、なにもかも教育では。。。
少しは、その教える!という姿勢では、体験することの大切が
なくなってしまうような気がします。
> > お考えに基本的に共鳴しますが、牢獄は一応、法のもとに
> > あると思いますが、
> > 「群れ」のなかのリンチは、際限のないものに、ならない
> > でしょうか。
>
> ぶりの稚魚は天然の群れでも共食いするらしいです
> http://www.fishecol.ori.u-tokyo.ac.jp/html/buri.html
人間の群れも、そういうことがある、、だから、抜けられる
自由や、抜けても心理的な負担がないシステムが、学校
の児童たちに、あり、この社会全体にもあると、いいいな
と、私は思いました。
日本が戦争を起こしたら、「抜けます!!」「息子は行か
せません!」「子どもの代わりに、私で勘弁して下さい!」
と言える権利が国民にあったら、政府の人間は、おいそれ
と戦争には向かわなくなる、ような、そんな気もある。。
抜けられないシステムが、恐いのではないでしょうか。
一見、組織化された集団が、実は、愚かな群れと同じ。
それが動物的な行動を、人間にさせるようで、、恐い。。
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