[BlueSky: 5775] Re:5773 メダカの学校(群れと組織)


[From] "genngorou" [Date] Sun, 8 Feb 2004 00:30:44 +0900


maspyさん、読んで頂けて、ありがとうございます。

> > 自由という観点で、人は、だれでも、属す集団を選ぶ権利があ
> > り、さらに、その集団から、いつでもはずれることが出来る自由
> > があるということです。それが保障されて初めて、その上に、社
> > 会性の重要性が存在できるとしている考えがあるようです。
> > 集団を選択する自由が与えられた中で、集団に属したら、こん
> > どは、その集団のルールには従う。それが、自由の鎖というも
> > のらしいです。
> > しかし、「群れ」の中では、さほど集団のルールを求めることは
> > できません。なぜなら、その群れ自体が、意識を反映した中で
> > 生まれたものではなく、その群れに属す個々人にとっては、自
> > 然的に、すなわち半強制的に出来たものだからです。
>
>   これは、なかなかおもしろい論点ですね。
>   たとえば、経済社会でいう「市場」といったものは
>   この「群れ」というふうに考えてよいのでしょうか。

「群れ」がよく分かっていないので、いろいろ考えて、そ
れを投稿している私なので、むずかしいですが、ちょっ
と思ってみます。

「群れ」をどういうものと考えるか?で、答えがまったく
逆になりそうです。
「抜けたりできないのが群れ」と言えば、どうか?
「組織化されていないものが群れ」と考えればどうか?

まず、どちらにしても、人間が作る「群れ」が「群れ」で
あり続けること、それ自体が、むずかしいかもしれませ
ん。それは、その群れが人間の群れだからで、人間は、
「群れ」をすぐに「組織」化しはじめるようですから。
しかし、組織化した後に、抜ける自由がなくなれば、そ
れはまた「きびしい群れ」となってしまう。。

純粋に、市場(しじょう)を考えると、どうなのでしょうか。。
もともと貨幣があるし、商慣習もあるし、それなりの契約
もあるし、それを考えるとルールがない市場は存在しな
いので、もはや市場は「群れ」ではなくてってしまうのか
もしれません。。
ただ、「抜けたり参加できたりが自由」ということでは、
買いたくない物やサービスを自由に選べるのですか
ら、それは「群れ」ではない。。のではと。。
(私の話が、組織化と自由をゴチャゴチャにしている
から、話がややっこしくなっているのか?な?)

> > ところが、この「群れ」でなければならない集団が、社会とい
> > う集団になってしまうと、つまり学校の中で社会性を求めら
> > れると、児童達は、集団への強制的従属意識のようなものに
> > 縛られる様になり、無意識に圧迫感が生まれてしまいます。
> > 自ら選んでもいない、また、はずれることもできない場所が
> > 社会になると、その場所は、自由の鎖もない、大変に不自由
> > で窮屈で、牢獄と似た場所になり、地獄の様な場所に変わっ
> > てしまう可能性が出始めるからです。

>  「群れ」のほうも、地獄になることは、まま、あるんじゃ
>  ないでしょうか。まあ、たしかに、20世紀以降は、組織
>  の横暴というのが、本当に目立つようになったということ
>  はいえると思いますね。

「群れ」ということの定義は難しい。
私なりに思う一つには、それに「属す属さないという選択が
できない」ということがあります。「群れ」から抜けたら死が訪
れる、あるいは、死が訪れるかもしれないという恐怖がある
のが、私が今回言った、「群れ」なのでしょう。

「組織」からは抜けられる。なので、「抜けられない群れ」が
組織化されたとき、あるいは、組織が群れ化したときに地獄
が起こると言えそうです。なので、おっしゃる通り、群れのほ
うも地獄になることもあるは、そのとおりで、おそらく、群れの
ほうが悲惨だと思います。

それこそが、学校の様な群れが組織化されたとき、そこから
抜けたいと思っても向けられなくなるので、悲惨な状況が起
こりがちだということになります。

会社などの組織でも「群化」が起きると、つまり、そこから抜け
られない(退職できない)ような意識が生まれたり、抜けたらお
しまいという意識が常識のように蔓延し、それに縛られると、
かなり悲惨な状況になる気がします。

>  お考えに基本的に共鳴しますが、牢獄は一応、法のもとに
>  あると思いますが、
>  「群れ」のなかのリンチは、際限のないものに、ならない
>  でしょうか。

上記のようなことを考えている私なので、これも、
その通りだと思います。ただ、牢獄というのは、現実の牢獄を
言ったのではなく、状態を分かって貰いたく使ったことばです。

うろ覚えですが、フランス革命の前に「契約」ということが
なかったでしょうか。。契約は自由だが、契約の中での勝手
はない。というような内容。
日本では、自由とか市民権とか民主主義は、その本質を
教わっていないのだと思いますが、さまざまな思想があっ
て、今の、契約社会があり、自由があるようです。
思うに、米国など、国から抜けるも、国に参加するも自由
ですが、その参加・不参加ののちには、かなり自由は制約
をうけるようです。いっぽう日本では、生まれながらに日本
人なので、日本国民への参加・不参加の自由はないようで、
その反動か、属している中に、かなりの自由があるような
気がします。そして、その自由の中では、ルールが破られ、
先取り、抜け駆け、独り占め、ごまかし、賄賂など、民主主
義の基本を揺るがす行為が平気で横行してしまう。。

と、そんなことが、いろいろ、思い浮かびます。。まとめら
れませんが・・・。










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