なにやら大変な誤解があるようですが
> 結局、「群れ」と「組織」では、なにが決定的に違う
> のでしょうか。
> 「群れ」というのには、個体の意思と利害を上回る、集団意思の
> ようなものは、ないようにも思えますが・・・
自ら群れたのならそれでも結構ですが
>
> 情報伝達は、個から多数へ行うことが効率が良いので、その為
> に、学校には児童が集められたのだと、私は思います。つまり、
> 学校に児童が多くいるのは、効率追求の結果だということです。
> その状態というのは、「群れ」でしかありません。ところが、
路地裏で遊んでいる餓鬼の群れならともかく
教育義務という地曳網で囲われ強制的に集められた魚たちは
自ら集まって魚群となったのではないでしょ
> その群れを、さらに利用して、学校行事や、学校活動が行わ
> れると、そこには、必然的に社会が出来上がります。すると、
> 先生達の中には、学校の生徒達を秩序ある組織集団である
> べきだと考える者が出始める。そこに多くの弊害が生まれて
> しまうようです。この「school=群れ」という語を学校に用いた
> 人、あるいは、用いている人々は、まさに、それを忘れない様
> にと、使っている様に、思えてなりません。
忘れないようになどというようなものでなく
ただの欺瞞でしょ
:
> お考えに基本的に共鳴しますが、牢獄は一応、法のもとに
> あると思いますが、
> 「群れ」のなかのリンチは、際限のないものに、ならない
> でしょうか。
ぶりの稚魚は天然の群れでも共食いするらしいです
http://www.fishecol.ori.u-tokyo.ac.jp/html/buri.html
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