[BlueSky: 5773] Re:5770 メルマガ虫虫・・・メダカの学校(群れと組織)


[From] "maspy" [Date] Sat, 7 Feb 2004 17:17:15 +0900


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♪めだかの がっこうは、川の中
    だ〜れが せいとかせんせいか
      だ〜れが せいとかせんせいか
           みんなで仲良く遊んでる♪


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メダカの学校 a school of killifish
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「メダカの群れ」は英語で、「a school of killifish」 と言うらしい
です。

   killiとは小川のことで、killifishは「小川に住んでいる魚」
   のことらしいのですが、日本の小川で、農薬のために
   絶滅しかかっているあの魚は、世界に通用するメダカ
   (目高)という名の種らしいです。

schoolとは魚などの「群れ」のことらしいですが、一方で、school
とは、誰もが知っている様に、「学校」という意味でもあります。
この a school of killifish の school を知った作者が、「メダカ
の群れ」を「学校」として、「めだか〜のがっこうは川のなか〜」
と歌ったのではないでしょうか。。。

このことも面白いことではありますが、私が、おもしろいと思う
のは、「群れ」が「 school 」であるということです。

学校がない時代にも「魚の群れ」は、海や川の中にいたでしょう
から、おそらく、後から、「群れ」という意味を指す語が学校に使
われたのでしょう。私には、それが、「さすが」だと思わずにはい
られません。学校が、組織organization、集団groupでもない、、
school であることは、私には、とても重要なことに思えます。

maspyです。
  とてもいいことを教えていただきました。
  ありがとうございます。


−−−

以前、私が、群集団と組織集団の違いを考えているときに、学
校のことを考えたことがあるのですが、私なりに言えば、学校と
いうのは「群れ」でしかない。いや、「群れ」と考えなければなら
ないと思ったことがあります。

結局、「群れ」と「組織」では、なにが決定的に違う
のでしょうか。
「群れ」というのには、個体の意思と利害を上回る、集団意思の
ようなものは、ないようにも思えますが・・・

情報伝達は、個から多数へ行うことが効率が良いので、その為
に、学校には児童が集められたのだと、私は思います。つまり、
学校に児童が多くいるのは、効率追求の結果だということです。
その状態というのは、「群れ」でしかありません。ところが、
その群れを、さらに利用して、学校行事や、学校活動が行わ
れると、そこには、必然的に社会が出来上がります。すると、
先生達の中には、学校の生徒達を秩序ある組織集団である
べきだと考える者が出始める。そこに多くの弊害が生まれて
しまうようです。この「school=群れ」という語を学校に用いた
人、あるいは、用いている人々は、まさに、それを忘れない様
にと、使っている様に、思えてなりません。

自由という観点で、人は、だれでも、属す集団を選ぶ権利があ
り、さらに、その集団から、いつでもはずれることが出来る自由
があるということです。それが保障されて初めて、その上に、社
会性の重要性が存在できるとしている考えがあるようです。
集団を選択する自由が与えられた中で、集団に属したら、こん
どは、その集団のルールには従う。それが、自由の鎖というも
のらしいです。
しかし、「群れ」の中では、さほど集団のルールを求めることは
できません。なぜなら、その群れ自体が、意識を反映した中で
生まれたものではなく、その群れに属す個々人にとっては、自
然的に、すなわち半強制的に出来たものだからです。

  これは、なかなかおもしろい論点ですね。
  たとえば、経済社会でいう「市場」といったものは
  この「群れ」というふうに考えてよいのでしょうか。

ところが、この「群れ」でなければならない集団が、社会とい
う集団になってしまうと、つまり学校の中で社会性を求めら
れると、児童達は、集団への強制的従属意識のようなものに
縛られる様になり、無意識に圧迫感が生まれてしまいます。
自ら選んでもいない、また、はずれることもできない場所が
社会になると、その場所は、自由の鎖もない、大変に不自由
で窮屈で、牢獄と似た場所になり、地獄の様な場所に変わっ
てしまう可能性が出始めるからです。

 「群れ」のほうも、地獄になることは、まま、あるんじゃ
 ないでしょうか。まあ、たしかに、20世紀以降は、組織
 の横暴というのが、本当に目立つようになったということ
 はいえると思いますね。

 お考えに基本的に共鳴しますが、牢獄は一応、法のもとに
 あると思いますが、
 「群れ」のなかのリンチは、際限のないものに、ならない
 でしょうか。
  

そんなことを、ずっと前に私は考えたことがあったので、この
「メダカの学校」、すなわち、a school of killifish という語の、
school が、「公立の学校」に使われていることは、すごいこと
だなと思いました。


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     ゲンゴロウ
      gengorou5656@yahoo.co.jp
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