[BlueSky: 5702] Re:5695 とりあえずですが


[From] "荻野 行雄" [Date] Mon, 26 Jan 2004 22:06:46 +0900

 葛貫さん

>ガウディが構想したスペインのサグラダ・ファミリアという教会は、
>着工後120年経った今なお、その建築に関わるために
>時間をつくろうという多くの芸術家・建築家・職人さんを、
>世界中から呼び集める魅力を持ち続けているそうです。
>ガウディは、詳細な設計図は描かなかったそうです。
>でも、彼の死後80年近く経過した今も、
>その場で、何かが受け継がれ、何かが共有され、
>それに惹かれて有能な人が集り、つくり続けられている。
>協働の場に、必要な何かがそこにあるように思われて
>なりません。何なのでしょうね。

 最初読んだときは、「何かがそこにある」って、
教会なんだから神様のパワーがあるんでないの
と思ったのですが、それはおいといて考え直し・・

 問題が公開されていて、最終的には
「参加する個人が、直接問題に取り組む」
という仕組みになっているということではないかと思いました。
(>ガウディは、詳細な設計図は描かなかったそうです。)

 「さあここに問題がありますよ、
あなたならどんな答えを出しますか?」とガウディさんに言われて
「うにょーし、おいらに任せんかい!」という人間が
世の中にはそれなりに居るということではないのかなあ。


 [5701]で須賀さんが書かれた国立公園のレンジャー氏の場合、
その個人が直接問題に対峙するというより、
問題に取り組んでいることになっている組織の一員として
組織の仕事を処理する、という形になっているのでは。
 個人で問題に対処しようとすれば、組織を辞めて、
そこの住人になって自主的にパトロールをするとか?
それを組織と連動できれば、新たな予算は無くても何とかなるかも
生活が成り立たないかもしれないけど。


 たぶん、問題に個人が直接取り組む。
最終的な現場の裁量権をその個人に与える、ということが
大きな意味を持つ・・ような気が・・しますが・・・

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