[BlueSky: 5701] Re:5691 個人と社会


[From] "suka" [Date] Mon, 26 Jan 2004 17:40:21 +0900

荻野さん 小宮さん みなさん
                      須賀です。

荻野さん:
> >集団に寄与する個人の力を高めることによって
> >社会の問題解決力を高める
>
>  というふうに整理するよりも、
>
> 「問題解決能力と意欲を持った個人を探し出し、
> その個人をどう集団が支援できるか」
>  つまり、「個人に寄与する集団」
> を考えた方が、間違えないのではないかと思います。

なるほど、おそらくテーマによってもちがうので、一概にはいえない
かも知れませんが、みんながよく似た能力のアップにはげむよりも、
必要かつ特殊な領域で大きな成果をもたらしてくれそうな個人を
どう支援するかを考えたほうがいい場合も確かにありそうですね。
このことは、[BlueSky: 5698] でご説明した楽器奏者とオーケストラの
たとえからも、ある程度わたしの考えているニュアンスをくみとって
いただけるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

荻野さん:
>  「それに属する個人すべてに寄与する集団」ですね。
> 念頭にあるのは、古武術 甲野善紀氏と、その周りの人々です。

これはどんな方々でしょうか。もしご面倒でなければお話いただけ
たらうれしく思います。

荻野さん:
>  集団が組織化されると、組織の存続自体が主目的になり、
> 組織内部の人間関係が重要になってしまって、
> 問題解決とは違う方向性が出てきてしまい、
> 話がおかしくなっていくのではないでしょうか。

いわゆる「官」のあり方をめぐる議論でもよくいわれることですね。

もっとも、このことも、個々の具体的な状況をみなければいけないので、
一般的な議論だけでわりきることはできないのではないかともわたし
自身は考えています。

たとえば、日本の国立公園のレンジャーは、必要な仕事に対して
あまりにもわずかな人員しかわりあてられていないとわたしは思います。
こういう場所にはもっと予算を配分しなければならないというのが
わたしの考えです。たとえば、加藤則芳『日本の国立公園』(平凡社新書、
2000年)にこういう記述があります。

“磐梯朝日国立公園は大雪山国立公園、上信越高原国立公園に
次いで三番目に広い。しかもエリアが四ヶ所に別れている。これだけの
面積に管理官事務所が羽黒と裏磐梯の二ヶ所。それぞれ一人の管理官
がいるだけだ。一般にレンジャーといわれるが、実際は事務所に詰めて
デスクワークに明け暮れる。
 佐々木さんは、赴任してすぐに、自分のすべき役割をはっきり決めた。
 赴任早々、じゃんじゃん電話が入る。関係者が訪れてくる。いろいろ
質問される。赴任したばかりだから、公園の状況が把握できていない。
資料を調べればわかる。が、その資料が果たしてどこにあるのかすら
わからなかった。資料庫には何十年分かの資料書籍がほとんど整理
されずに山積みされているのだ。いくら赴任したばかりとはいえ、資料
もなく、あれもわかりません、これも知りません、は通用しない。そこで、
彼は次以降の赴任者のために、資料の整理をはじめた。
 通常の許認可業務など、管理官としての仕事が山積している。その
合間の仕事だ。コンピューターによるデータ検索があたりまえのこの
時代に、まだこんなことをしているのが、国立公園管理業務の実体だ。
依然として旧態のまま、非効率的な仕事に明け暮れざるをえない。
むろん、彼の責任ではない。
 当然、批判が出る。管内の現場をほとんど見て回る時間がないわけ
だから、今度の管理官は現場に出ない、現場をなにも知らない、という
ことになる。逆に、前任者のように、できるだけ外に出て、公園の現状を
把握しようとパトロール業務に力を注ごうとすると、これもまた批判される。
いつ電話しても、管理事務所にはだれもいない、と。日本の国立公園
業務の九割は許認可に関する仕事だ。一人しかいない管理官事務所
では、事務所を留守にするわけにはいかないのだ。
 その佐々木さんは、今十和田勤務だ。裏磐梯には三年いただけ。
レンジャーたちは、長くて四年が限度で、次々に赴任先が変わる。これ
も、大きな問題なのだ。なにもできないうちに、なにも知らないうちに、
あるいは、ようやく慣れたころに次の赴任地へと転勤させられる。
 磐梯朝日国立公園は、それでもレンジャーがいるだけました。管理官
事務所さえない、つまりレンジャーがひとりもいない国立公園が、いくつ
かある。”

これ自体は国の課題で、県などの自治体の課題ではありませんが、
自然環境の保護・保全に関しては多かれ少なかれ似たような問題が
たくさんあります。これまで政策としてかたちばかりのことしかなされて
こなかったつけが、こんなかたちであらわれているということなのかも
しれません。

小宮さん:
> 個人と社会が対立する、という場合、「社会」って
> なんだろう?と考えたのですが、簡単にいうと、
> 「社会=自分をとりまく他の人」ですよね。「個人と環境」
> で考えた場合は、「環境=自分をとりまく生き物」では
> ないかな?だとすると、社会や環境のことを考えると
> いうことは、結局「自分のことばかりではなく、他の
> 人や他の生き物のことも考えよう」ということになる
> と思います。

そうですね。このことについては、わたしにもまだまだ学ばなければ
いかないことがたくさんあります。またみなさんから、さまざまなご批判
をいただけましたらさいわいです。

それではまた。

   須賀 丈




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