[BlueSky: 5683] メルマガ虫虫・・・個人と集団(アイヒマン実験)


[From] "genngorou" [Date] Fri, 23 Jan 2004 02:07:15 +0900


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  個人と集団(アイヒマン実験)
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こんな実験があるようです。私には「個人と集団の関係」の実験で
ある様な気がします。

−−−アイヒマン実験−−−

アメリカのエール大学でスタンレー・ミルグラム教授による注目すべき
心理学実験が行われました。それは、「体罰と学習効果の測定」という
名目で参加した、男女各40名の普通のアメリカ市民に、隣室にいる男
性に質問をして間違った答えが返ってくると罰として電気ショックのス
イッチを押してもらい、間違うたびにその電圧を上げていくというもので
した。スイッチを押すと最初はうめき声だったものが、やがて絶叫となり
苦悶の声が聞こえてくるようになります(本当は演技なのですけれども)。
そこで参加者は自分の行為に躊躇するのですが、まさにその時、大学
の研究者が「大丈夫、続けて下さい。」と指示を出します。この結果、何
と男女とも26名(65%)の参加者が命の危険がある450ボルトの最大値
まで罰を与え続けることが出来たのです。
 これが有名なアイヒマン実験です。ミルグラムは「普通の人間がいか
に盲目的に権威に服従してしまうか」を明らかにしました。

 http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/new_page_41.htm

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信じられない実験の結果ですが、ほんとに、私たちというのは
こういう性質を持った生き物なのかもしれません。

「アイヒマン」というのは、ナチスドイツのホロコーストの中心的
な人物ですが、残虐行為をするような人物とは見えなかったそ
うです。普通の人がいかに残虐な行為を為しうるかの実験が、
「アイヒマン実験」らしいです。

 この実験をしたミルグラム教授は、「人間は権威に盲目的に
服従する」言ってますが、私には、「権威」と、片づけられない
ことを教えてくれる実験であるように思えてなりません。

人間が集団に属そうとする時、あるいは属した時、人間には
一体、何が起きるのでしょうか。

−−−

 仮に「権威に服従」ということで考えても、その権威はいか
にして人の中に生まれるのでしょう。もしかすると、教授に権
威があったから従ったのではなく、この実験を行った学生達
が自ら、教授の権威を作りだしたのかもしれません。

 学生達は、この実験に参加したとき、自分たちを特別の人間
と思い、「俺達は特別な人間だから許される」と、考え、その先
に、「痛みに叫ぶ人間の苦痛も実験に使える」と考えたのかも
しれません。そうであるなら、それはヒトラーに認められ選ばれ
たアイヒマンが普通の人間の感覚を鈍磨させたことと差があり
ません。
 つまり、彼ら学生は、権威に服従したのではなく、権威を作り
出して、自らの満足を得たという解釈もできるような気がします。

−−−

 集団に属すときの人間には、集団化するのですから、集団の
意思に従う姿勢がなければなりません。それは、言い換えると、
没個性化でしょうか。しかし、集団全体は強い意志を持たなけ
ればならない。それも集団に属す人間は理解する。すると、そ
こに、権威なるものが求められ、求められることによって存在が
始まる。

−−−
 人間という生き物は、その個々人に平和意識や環境意識を
教育しても、いったん集団に属すると、従属的になってしまい、
意思を薄め、判断能力を自ら減退させる。そんな生き物なの
かもしれません。

集団に人が取り込まれると、個人レベルで存在していた平和
意識や環境意識は無くなってしまう。人類の歴史のジレンマ的
な所為が、多々起きている原因は、こんな私たちの「種」として
の性質がある様な気がします。

  #動物の性質には、個体の性質と種としての性質の
   二つがある。

−−−

 さらにこんなこともあるかもしれません。集団の中で人は、
強い意志決定をしなくて済む分、個人の責任意識も薄れる
のではないでしょうか。
 集団は2名以上で立派な集団なのですが、仮にAとBとい
う人間がいた場合、ある事を成すとき、Aは無意識にBの責
任に出来、Bも無意識にAの責任に出来てしまう。
 この「意思と行動」の分離という心理的なメカニズムが、人
にどんな事もさせてしまうのかもしれません。

−−−

そうした集団の中での個々人には、個人レベルでの競争意
識もある。競争が起こり、集団環境自体に、前述した思考・
行動を、さらに推進させててしまうメカニズムがあるような気
がします。

−−−

 私は、集団とか、群とか、組織は、その構成員が人であって
も、その全体は人とは似てもにつかない諸行をすることを見る
と、集団、群、組織のような存在は、もう、人間とは言えなず、
「人間とはかけ離れた別の生物」であると考えてもいいのでは
ないか?!と思うときがあります。そう思わないと解釈できない
人間の行動が多くあるような気がします。

人間は、別な生物に取り込まれると、その生物には逆らえない。

集団を、別な生物と考えないでは、人間を語ることは出来ないの
ではないかとさえ思ってしまいます。


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     ゲンゴロウ
      gengorou5656@yahoo.co.jp
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