[BlueSky: 5619] 世界人類の皆さん


[From] "荻野 行雄" [Date] Tue, 30 Dec 2003 23:26:22 +0900

 メタフィジカル・パンチ  池田晶子 文藝春秋
P145〜P152
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  世界人類の皆さん

 テレビは、天気予報以外はほとんど観ないのだが、先日終了したシリーズ、
NHKのドキュメンタリー「映像の世紀」は、毎回欠かさずに観ていた。
  (中略)

 番組第九回「ベトナムの衝撃」で、ケネディ大統領就任演説のシーンがあった。
私は彼の言質を取った。若き希望の大統領は、明らかなウソを言っていた。
ウソを言って、大喝采を浴びていた。彼はこう述べていたのだ。

 「どのような平和を我々は求めているのか。アメリカが武力で世界に強制する
アメリカの平和ではない。
私が言いたいのは、真の平和、生きがいのある生活を保障し、
人類と国家が栄え、子孫によりよい生活を約束する平和、
アメリカ人のための平和ではなく、全人類の永遠の平和である。」
   (中略)

普通に人は、それぞれ自分の置かれた場所からの遠近法によってしか
ものを見ることができない、つまり、自分の見たいものしか見えないのだから、
人の数だけ正義の数はあるわけで、 (中略)
 絶対的真実は、様々なる遠近法によっては決して計られ得ない。
なぜならそれは、それら遠近法の虚焦点としてのみ存在するからだ。
虚焦点とは、人には見たいものしか見えないが、
しかし人には見たいものしか見えないというそのことをこそ、見ている地点だ。
その虚焦点から見て、先の大統領の言葉は、明らかにウソなのだ。
  (中略)

 明らかに間違っているのは、いや、それこそが我らの原罪であるのは、
「真の平和」とは「生きがいのある生活を保証し」「人類と国家が栄え」
「子孫によりよい生活を約束する」、そのようなものであると疑われることのない
直結的な思考、これである。

  よりよい生活とはなにか
  衣食住が我らの理想なのか
  としたならそれはなぜなのか

おそらく人は、三回以上続く「なぜ」に耐え得まい。
しかし、もしも自分が何事かを理想として欲していることを認めるならば、
そのことの「なぜ」を知らずに、そのことは欲し得ないはずだ。
なぜなら、自身の欲しているものの「何であるか」を知らずに
それを欲することはできないからだ。
 欲し得てはいないものを、理想として欲し得ていると思うところに、
人の世の罪がある。
いや正確に言うべきか。この世に「罪」は存在しない。ただ、無知のみがある。
 「形而上学」、そう私は言ってきた。そんなものはただの方便である。
学問は、学問であると自身を規定した瞬間に限界を持つ。
生きている我々の、生成する存在の、「現在」、その「何であるか」を認識し
明らかな自覚へともたらし得るのは、学問ではない、自ずからなる思考である。
考えることである。ただ考えること、その一事で万事は一転するのだ。
しかし、そのいかに困難であることか。
   (中略)

  Aとはなにか
  「よい」とはなにか

「形而上学的思考」と偉そうに言ってみたところで、
詮じ詰めれば、これだけの問いである。
これだけの問いの恐るべき困難は、各人己の思考に問うてみるなら明白なはずだ。
   (中略)

A=A、同一性を自明とする思考、「私は私である」は、どのように自明か。
   (中略)

 私は私であり、私は生きており、生きていること自体がよいことであり、
そのよいことを私が全うするために、私に自由を与えよ。

 人の世の争いとは、つまるところ、これではないのか。
しかし、大統領はこれを人類の理想と言った。が、ここで自明とされている考えの
どれひとつとして形而上学的吟味に耐え得るものはない。
それでもなお君は、形而上学を暇人の寝言と言えると思うか。
 冷戦終結後、人々はそのアイデンティティを、
イデオロギーから民族性へと求めるようになったとも言われる。
自己同一性を何者かに求める、このこと自体の大いなる欺瞞と錯誤に、
人類はもはや気付くべきなのだ。
「自分」は何者でもない。そして、自分が自分であるということには、
どのような理由も根拠もない、耐えるしかない。
それは、「存在」が存在したことに、どのような理由も根拠もないのと
正確に同じことなのだ、「神」を認めるのでなければ。
 「神」の問題を考えずに、君は自分を、自分の生死を、考えることができるか。
神とは何だと君は思うか。

 爆撃に逃げまどう人々の、流浪する難民の、
殺し尽くされたしゃれこうべの山々の、映像を私は凝視し、
問いは深いところで結晶化する。
 それでも人類は進化し得るか
   (中略)

 精神である。思考である。考えることである。
考える精神のみが進化の可能性を持つ。
   (中略)

 競争なのだ、と私は思った。
全人類一人残らず自身の精神性を自覚するまでにかかる時間と、
無自覚なままに産み落とされ増える一方の無自覚な人間の数との間の、
これは競争なのだ。
「教育」が追いつかない。ここの落差に悲劇が生じる。
今世紀、人口は増えすぎた。悲劇は大きかった。
   (中略)

私は思う、人が「自分とは何か」を知る前に子供を作るのは罪悪であると。
   (中略)
「子孫によりよい生活を約束する」、これは責任ではない。
愚劣なる過ちの、永久的反復である。
   (中略)

 かくして私は、頭に妊娠した無体な考えを、世の中広くに産み付けることとなる。
人を導けるものは、最後は、言葉だ。
まっとうな言葉の破壊力、それを私は知っている。
各人が各人の頭でそこから考え始めるためのゼロを、私は創り出したいのである。
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 昨日、池田晶子氏は平和についてなんか書いてるんじゃなかったかと、
テレビをつけっ放しにしながら、手持ちの本をひっくりかえしていたら
これが出てきました。
テレビではまさに「映像の世紀」を再放送していて、ケネディが暗殺されてました。
いやはや。

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