[BlueSky: 5618] 平和


[From] 阿部靖志 (ABE Yasushi) [Date] Tue, 30 Dec 2003 04:47:27 +0900

皆さん、ご無沙汰しています。阿部@春日です。

 仕事納めまで年末進行の上に沢山の忘年会もあって、ホントに疲労困憊して
いました。ようやくゆっくり休めて気力と体力が回復し、溜まっていたメール
を読んでいると、平和に関する議論がなされていたのでした。曰く、平和とは
何ぞや。

 言葉の意味なら、辞書を引けば出ているのだろうから、そこで議論になると
いう事は、辞書の中身がスカスカで、解釈の仕方が幾通りも考えられる、とい
うことなのでしょう。

 とりあえず、皆さんに思い出して頂きたいのは、我々日本人は世界でも稀な
『平和』憲法を持つ国民なのだ、ということ。国家のアイディンティティを記
述している憲法なら、不完全ながらも定義に至る情報が入っている筈。私は法
学者じゃぁ有りませんが、日本語的に考えてどの辺が平和に関する記述なのか
を判別する程度の事は、皆さんと同程度には出来る筈なんで、そうして判別し
た文章を憲法から抜き出してみましょう。

*日本国憲法が示す平和
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前文(2)
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
----------------------------------------------------------------------

 平和と言う概念に関しては、貧弱な辞書だと戦争の対義語、と言う程度の情
報しかないと思うのですが、上の文章では一行目で既に『人間相互の関係を支
配する崇高な理想』が『恒久の平和』だと言うことを示しています。これは、
平和に関する議論の最小単位が、国家間ではなく個人間に有る事を示していま
す(戦争の対義語では、定義としては不充分だと言うことです)。

 2行目の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』という部分で、こ
の理想が日本人だけではなく世界中の人々に共有されており、日本人を含めた
世界中の人々の合意点(妥協点)が、与えられた条件の中では望み得る最も平
和(理想)に近い点である、という世界観を示している(信頼の結果として得
られるのは『平和』ではなく、日本人の安全と生存でしかない点に留意して下
さい)。

 また、3行目と5行目からは、専制と隷従、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏、が平
和の対極であることが読み取れます。


*阿部による平和の定義
 以上の情報を元に、私が平和を定義してみると以下のようになります。

『全ての人間が他者を害する事なく、また害される事も無く、自由に考え、話
し、行動でき、必要を満たされる状態』

 この状態が達成されるには、マクロには生産量が需要を満たし、流通が供給
を保証することが必要でしょうし、ミクロには紛争当事者達の最大幸福を実現
する形で利害が調整されることが必要でしょう(それだけで達成されると言っ
ている訳ではありません。議論を利害調整にフォーカスしているだけです。為
念)。

 では、紛争当事者達の最大幸福を実現する形で利害が調整されるには、何が
必要でしょうか?。色々な答があるとは思うのですが、私は以下の2つを挙げ
ておきます。

1. 『敵』が受ける痛みを自分の痛みとして感じる感性
2. 痛みをより少なくする方法を求める意志

 以上の2つをひっくるめて『愛』と呼ぶのは簡単です(イエスはそんな風に
教えていましたね。自分の味方を愛するのは我々の敵でさえしているのだから、
我々は敵をも愛する事で我々の敵と我々を区別しよう、ってな感じで)。ただ
し、それでは何がポイントなのか、判り難くなってしまいます。と言う訳で、
私はこれらをひっくるめることはしません。

 経済停滞のブレークスルーとして戦争が必要だ、と言う議論が有りますが、
そこで思考を終了してしまえば、平和は永遠にやって来ません。思うに戦争は
草原への火入れのようなものでしょう。戦後復興という形で生産力は必要とさ
れますが、それはシステムを低レベルの状況に留め置くことと同義です。平和
という理想を実現するには、システムの高次化を進め、火入れ不要の極相を実
現する必要があるのでしょう。そして、そういう極相のシステムを生み出せる
のは、火入れを必然とする砂漠の思想ではなく、森を森として利用する森林の
思想なのでしょう。


*ちょっと説教臭い蛇足
 議論に関して言えば、相手の議論を切り捨てるのが火入れで、相手の議論に
無いものを入れるのが種まきでしょうか。豊かな森を維持するには切らなきゃ
ならん木も有るのは確かですが、切るだけじゃダメと言うのは間違いない処な
んじゃないでしょうか。切るんだったら、その跡に種を撒きましょう(^^)。


それではまた。 阿部 靖志(abe_yasushi@yahoo.co.jp)


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