[BlueSky: 5616] Re:5613 冬至 平和の原理


[From] "Y.kuzunuki" [Date] Mon, 29 Dec 2003 12:29:36 +0900

こんにちは、葛貫です。

Takashi Suzukiさん wrote:
> 「・・・牽制しあえている状況が、平和ということになるのかな。」と、常識的に現実の
> 世界をみれば、葛貫さんのおっしゃる気持ちはわかります、が、これを「平和」とは言わ
> ないでしょう。世に現れた聖者賢者は、そういう「平和」ではなく、真実の平和を希求し
> 「それが可能である」との理解の上に、人々を導いたのだと思います。
>
> そしてその平和とは、「その人の周囲に現れる平和な環境」以外のなにものでもないと思
> います。繰り返しになりますが、そういった環境を生じさせることが出来る人が多数現れ
> る以外に、世界全体が平和に向かうことはないでしょう。・・・それは夢物語なのでしょ
> うか?。私は可能であると思うものです。

鈴木さんが、そう思われるというお話は、そういう人もいるんだと、
伺っておきます。でも、自分を顧みると「可能ではない」と考える
所から出発するのが順当なように思われます。

【5585】には、以前の投稿に書いたので入れなかったのですが、
私自身は、冬至の日、各地で行われるキャンドルナイトのイベント
には行こうとは思いませんでした。そういうお祭りで気分を盛り上
げるのもいいけれど、たとえキャンドルは灯さなくても家族で過ご
そう、と思ったのは、

「イラクの小さな橋を渡って」著者:文・池澤夏樹、写真・本橋成一
出版社: 光文社( http://www.impala.jp/iraq/main.html )の中の

『 ナシリヤの町で、一人の男がロータリーの縁石を白と緑に塗り
分けていた。走る車の中から一瞬見ただけだが、ペンキの刷毛を動
かすその手の動きをぼくはよく覚えている。世界中どこでも人がす
ることに変わりはない。自分と家族と隣人たちが安楽に暮らせるよ
うに地道に努力すること。それ以外に何があるか。』

と、

「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」 加藤典洋[著]
出版社:クレイン;平原社 の中川六平さんの書評にあった
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=1906

『 初めに大義、がありすぎる。大義に身を寄せると気持ちがいい。
深く考えなくてもいいから。そうであってはならない。日々の淡々
とした暮らしへの眼差(まなざ)しが大切なのだ。自分の生活の楽
しみを見つけ、その場所から遠く飢えて死んでいく人を思いやる。
少しずつでしか埋まらないものがある。』

という言葉、そして[BlueSky: 2340]に書いた
http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/2340.html

自分にとって、特別なバラの花を持つことにより、他の十万のバラ
の花を、それぞれ特別に思っている人がいるかもしれないことに
気付き、それぞれの「想いや痛み」を想像できるようになり、他の
十万のバラの花も大切にするとまでは行かなくても、損なわないよ
うに気を付けるようになるのでは、と思うのですが・・・・・。

という思いがあったからです。

自分にとっての快適さや正義を相手に押し付けたり、導いたりする
のではなく、少なくとも、自分がされたら嫌だなと思うことは、
相手に対してしないという姿勢の方が、私には好ましく思われます。
威勢のよい平和運動には、つながりませんが(^^;。


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