こんにちは。はじめて投稿させて頂きます。砂本と申します。
皆さんのような高尚な議論はできませんし、稚拙な考えかもしれませんが、
平和とは、という問いかけに対して、感じたことを書かせていただこうと思います。
私は「平和」、というのは、人がそれぞれその日その日を平穏に暮らせること、
平凡な毎日を過ごせること、だと思っています。
これが独り善がりな考えであることはよくわかっています。
この社会では様々なものが複雑に絡み合っていて、
全く摩擦やハプニングが起きないわけがありませんし、
誰もが毎日を平穏に暮らすなんて現実的には不可能です。
誰もが平穏に暮らしたいと思っているわけでもないでしょう。
何か事件が起きて、それを乗り越えていくから物事は進んでいく。
それも真実だと思います。
それに、少し話がそれてしまうかもしれませんが、
環境問題でもそうだと思うのですけれど、「一人一人が・・・」という
議論になってしまうと、
それで難しい問題を個人個人の責任に押し付けて、臭いものにふたをして、
その問題に対するそれ以上の努力を
自分が放棄してしまう、それでは解決にならないじゃないか、と
逃げてるだけじゃないか、という思いもあります。
けれど、大きな運動だって、もとは一人の小さな働きかけから
始まったんじゃないか、それが少しずつ広まって
世の中の物事を動かしてきたんじゃないか、
だったら、やっぱり一人一人の思いというのも、ちっぽけだけど
大切なんじゃないかと思うんです。
だから、たとえ実現は難しくても、
少なくとも毎日を平穏に、普通に暮らせれば、と、
なるべく多くの人が心に願うこと、
平凡な毎日を過ごせる幸せを、心に感じることで、
少しずつ「平和」は広がっていくんじゃないかな、と。
しかし、厳しい現実を必死に生きている人々、
そんな現実を知っている人々にとってやはりこれは、
外を歩いていたって、ミサイルがとんでくるわけでもない、
地雷を踏むわけでもない、帰る家がある、食べるものがある、着る服がある、
そんな恵まれた環境にある、「平和ボケ」した者の
非現実的なたわごとでしかないのでしょうか・・・。
砂本
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