「ケータイを持ったサル」では、
若者の「家のなか主義」を助長している要因として
母子密着型子育てによる子供中心主義が指摘されています。
一方の養老氏には、甲野氏との共著「自分の頭と体で考える」に、
[「安全第一」と、考えるのは、この国のマザコン体質です]
という項目があって。
=自分(学生)の行動の原則が安全ですよ・・・。僕は日本の母親の
=教育がここまで行き届いているとは思ってもいませんでした。」
と発言しています。
「いちばん大事なこと」のなかでは、
= だから子供に事故でもあれば、「仕方がない」どころか、
=大騒ぎである。天然記念物の木を切り倒したくらいに思う。
=これで子供がまともに育つわけがない。
と書かれています。
私にはやはり、同じ話のように思われます。
ところで、[5550] 葛貫さん
>養老さんの「バカの壁」の「第5章 無意識・身体・共同体」に、
>=============
>(中略)
>外から見ると、この人の右手は靴下を脱ごうとしているのに、左手
>で抑えている。左脳にある意識は、なぜそうなるのかわからない。
>本人には、左手がそんな風に意識しない所で妨害していることはわ
>からないのです。
>実は、人間誰もが似たような状況にあるのではないか。つまり、迷
>っている、悩んでいる、という場合、そういう状態だったりする。
>自分の中にも別の自分=無意識がいるし、それは往々にして意識と
>は逆の立場をとっている。
>だから人間は悩むのが当たり前で、生きている限り悩むものなので
>す。それなのに悩みがあること、全てがハッキリしないことを良く
>ないことと思い、無理やり悩みを無くそうとした挙句、絶対に確か
>なものが欲しくなるから科学なり宗教なりを絶対視しようとする。
>(p.120)
>===========
>(中略)
>サル化してしまう子供(大人も)いるけれど、右手と左手が違う方
>向を示しているような大人の中で、そのカラクリを十分に承知し、
>適当に利用しつつ、新しい文化を模索しうる、しなやかで、したた
>かな次世代も、ひそかに育っているのではないかと、
養老氏は、ここでは、
右手と左手が逆の立場=悩みがあってハッキリしない状態
=本来当たり前の状態
であるのに、それをみんな避けている。
(つまり、悩みのない、わけ分かった(つもりの)状態を志向している)
それはまずいのではないか。と論じています。
対して葛貫さんは、
右手と左手が違う方向を示す状態
(=養老氏が、本来当たり前だがみな避けている と考える)
に、大人があるとしている。
この時点で養老氏とは前提がまったく逆になっている。
そしてさらに、
「そのからくりを十分に承知した次世代が育っている。」
つまり「わけ分かっている」若者が出てきている、と考えている。
養老氏は、そういう(わけ分かったつもりの)状態こそがまずい
と考えているのだと思いますが・・・
もちろん「つもり」か、「本物か」というのが、大問題ですが。
「本物」ということは、そもそもありえないというのが、
養老先生の「常識」のような・・・
したがって、葛貫さんは、養老先生とほとんど逆の認識
ということだと思いますが、それにしては、話の流れは、
養老氏の考え方を受けてそのまま流しているような書き方のようだし・・・
逆なら逆で、きちんと整理して書かれれば良い。
今回のようなことでは、「バカの壁」の内容を
誤解される方もあるかもしれないと思います。
「バカの壁」(p202)
=人間であればこうだろう?という話、本書冒頭で述べた「常識」が、
=私は究極的な普遍性だと思っているのです。
「常識」(おそらく、「人間らしさ」ということ) は、
その時々の社会文化に、本質的には影響されずに成立するハズ
と、養老先生は考えている訳です。
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今回ちょっと細かく書きましたが、もし、
「そのカラクリを十分に承知し、適当に利用しつつ、
新しい文化を模索しうる、しなやかで、したたかな次世代」
だけを抜き出して、
「誰が何を承知しているのか、単なる知ったかぶりっ子では?」
とかだけだったらどうか・・しかし、そのほうが良かったか・・・
あまり細かく書いて、葛貫さんが投稿を控えたりされたら
それは、本意ではないし・・・・だから反論は難しい。
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| 荻野 行雄 ogino.yukio@nifty.com
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