[BlueSky: 5551] Re:5550 人間らしさ=


[From] "Kaz. Yokoyama" [Date] Fri, 28 Nov 2003 02:33:49 +0900

葛貫さんこんには。

> 横山さん、こんにちは。「ケータイを持ったサル」に「社会的かし
> こさの衰えが激しい」と書かれていた40代専業主婦の葛貫です(^^)/~。

ははははは、目敏い、そして鋭いですね。
サルシリーズ(?)としてもう一つお勧めは、セント ジョルジュの書いた
「狂ったサル」です。彼はビタミンCの発見者でノーベル賞を2度受けた大天才
ですが、その彼をして「人は40歳を過ぎると頭脳が凍り付く、つまり新しい
ことを真に理解できない。知識としてしか受け入れられない」と述懐させてい
ます。件の「食と農、安心のためのリスクコミュニケーション」シンポの後で
産経新聞の記者さんを、「あの方(葛貫さん)は主婦って嘘でしょう、知性的
過ぎる。。。。」と驚嘆させた貴方はセントさんも吃驚の柔軟な頭脳の持ち主
の様です。まだなら是非「狂ったサル(原題:a crazy ape)」の一読をお勧
めします。学生時代に英語の教科書として読んで眼からウロコでした。
それ以来、40に成ったら研究者を辞めようと決意したくらいです。

> ほど必要でないのかもしれない。多様な視覚的イメージが脳裏にフ
> ラッシュして、それに基づいて行為決定がなされることだって可能
> だろう。(p.184)

人間は本当に「視覚的」にモノを考えているのだろうか?ましてや言語的に
など考えるのだろうか?これも若い頃から抱き続けている疑問です。
私個人の場合は少なくともそうでは無さそうです。もっと多次元的、疼きに
似た何かですね。だからしばしば暴言を吐いたり、やんちゃをしてしまう。
将に狂ったサルですね。でも何故かそうやって社会が動いている様な気が
してしようがない。

> だから人間は悩むのが当たり前で、生きている限り悩むものなので
> す。それなのに悩みがあること、全てがハッキリしないことを良く
> ないことと思い、無理やり悩みを無くそうとした挙句、絶対に確か
> なものが欲しくなるから科学なり宗教なりを絶対視しようとする。
> (p.120)

それはそうなんだけど、それをてめーの脳が出来ていると思い込んで
いるのが養老先生のナイーブなところだと何となく思いますね。
ま、直に会ってみるとそうでも無いと思うかも知れませんが。

> を感じる時は、その「ロゴス」に基づく「人間らしさ」の再生産に
> かかわれるものなのかな? と思います。

「ロゴス」の行っていることはつまり、複雑な現実の単純化に他ならない。
だから複雑さの極致である人間がロゴスで幸せに成れるのか?幸せとは
そんなに単純なものなのか?根性のネジまがっている私など直感的に
思うのです。そんなことなら、ケータイ持ってるサル(ヒト)化した
真人間の方が幸せなのかもとかね。

> 適当に利用しつつ、新しい文化を模索しうる、しなやかで、したた
> かな次世代も、ひそかに育っているのではないかと、昨年、「科学
> 技術と芸術―知の創造に向けてー」というフォーラムを見学しなが
> ら感じたのを思い出しました。

そう思います。自然は、人間は、そして本来都市さえもしなやかで、
したたかなものじゃないでしょうか。単純さを好む人間にはそれが
見えて無いんじゃないでしょか。最近寝不足で妙に理屈っぽくなって
るだけでしょうが。。。。

和尚


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