[BlueSky: 5550] Re:5543 人間らしさ=動物らし


[From] "Y.kuzunuki" [Date] Thu, 27 Nov 2003 19:17:34 +0900

横山さん、こんにちは。「ケータイを持ったサル」に「社会的かし
こさの衰えが激しい」と書かれていた40代専業主婦の葛貫です(^^)/~。


私が「ケータイを持ったサル」を一読して印象に残ったのは、
「あとがき」にあった以下の一節でした。
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例えば「はじめにロゴスありき」というフレーズがあるように、私
たちがものを考える際には、心のなかでことばを操るのがふつうと
されている。しかし生物としての人間に返るならば、内言語などさ
ほど必要でないのかもしれない。多様な視覚的イメージが脳裏にフ
ラッシュして、それに基づいて行為決定がなされることだって可能
だろう。(p.184)
=============


自分が意志決定をする過程を考えると、グチャグチャと言葉を操っ
て、今の世の中に通用する「ロゴス」にはめこもうと努めているよ
うな気がします。それが「多様な視覚的イメージが脳裏にフラッシ
ュし、それに基づいた行為決定」と近ければ近いほど、幸せに感じ
るのかもしれないと思いました。


養老さんの「バカの壁」の「第5章 無意識・身体・共同体」に、
=============
むろん、無意識を意識しろ、といっても矛盾しているというか無理
な話です。ただし、あくまでも自分には無意識の部分もあるのだか
ら、という姿勢で意識に保留をつけることが大切なのです。

現代人の無意識についての状態を象徴的に示しているかのように見
えるのが、右脳と左脳が分離している患者です。彼らはそれぞれの
脳が正反対のことをやろうとしています。左脳が靴下を脱ごうとし
ているのに、右脳は逆に履こうとしていたりする。
外から見ると、この人の右手は靴下を脱ごうとしているのに、左手
で抑えている。左脳にある意識は、なぜそうなるのかわからない。
本人には、左手がそんな風に意識しない所で妨害していることはわ
からないのです。
実は、人間誰もが似たような状況にあるのではないか。つまり、迷
っている、悩んでいる、という場合、そういう状態だったりする。
自分の中にも別の自分=無意識がいるし、それは往々にして意識と
は逆の立場をとっている。
だから人間は悩むのが当たり前で、生きている限り悩むものなので
す。それなのに悩みがあること、全てがハッキリしないことを良く
ないことと思い、無理やり悩みを無くそうとした挙句、絶対に確か
なものが欲しくなるから科学なり宗教なりを絶対視しようとする。
(p.120)
===========
という一節がありました。


ある社会文化の土台となっている「ロゴス」が、その時代、その場
所で生きている人が想い描く「幸せ」につながると信じることがで
き、違和感なく受け入れられている時期には、その社会文化に適す
る「人間らしく」なるように仕向けることができるけれど、違和感
を感じる時は、その「ロゴス」に基づく「人間らしさ」の再生産に
かかわれるものなのかな? と思います。


サル化してしまう子供(大人も)いるけれど、右手と左手が違う方
向を示しているような大人の中で、そのカラクリを十分に承知し、
適当に利用しつつ、新しい文化を模索しうる、しなやかで、したた
かな次世代も、ひそかに育っているのではないかと、昨年、「科学
技術と芸術―知の創造に向けてー」というフォーラムを見学しなが
ら感じたのを思い出しました。


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