[BlueSky: 5295] Re:5289 その5 「針葉樹人工林」が悪いのではなくて、その「管理手入れ不適切」が問題


[From] "gengorou" [Date] Thu, 14 Aug 2003 01:21:15 +0900

その5@ゲンゴロウです。



只木教授:
>>>【針葉樹と広葉樹と雨】も逆。書いてあることは人間の
>>>感覚(錯覚)で、実は、針葉樹林の方が土地面積あたりの
>>>葉量・葉面積が大きくて雨もよく遮断します。

ゲンゴロウ:
>> このお話は、何処の針葉樹を例にしているのでしょうか。
>> 間伐し、枝打ちし、木の上部に葉がポヤポヤと付いている
>> 管理された針葉樹林なのでしょうか。それともカナダの樹
>> 林なのでしょうか。。。その変が気になります。
>>
>>  上記の話は間伐がされていない状況、つまり、低地の多
>> 雨地域では、最悪の状況での話ではないでしょうか。もし、
>> 最悪の状況であるとするなら、なんかおかしいことになる
>> と私は思います。
>> データサンプルはその木が植えられる地域でのデータでな
>> いとまずいのではないでしょうか。
>> 間伐をすると木の保水力はなくなり、間伐をしないと木は
>> 倒れるのに。。。

只木教授:
> この段落、後半は主旨不明ですので、針葉樹林と広葉樹林の葉
>の量について、一般論を記します。
> 前述の落葉・新生葉量の話に戻りますが、「針葉樹林、広葉樹林、
>常緑樹林、落葉樹林の違いはなく、落葉量は、絶乾重量で 3トン/ha 。
>ついでながら、毎年の新生葉量もおなじ絶乾重量で 3トン/ha」でした。
>森林の持つ葉量は、この3トン/ha X 葉の寿命(今年出た葉が枝に何年
>ついているか) で決まります。例えば、葉の寿命1年(未満)の落葉樹林
>では3x1=3トン、寿命2年のマツ林 3x2=6トン、 寿命4-5年のヒノキ林
>14トン 5年以上のモミ林やトウヒ林は15トン以上です。スギの葉は、
>4-5年の寿命ですが葉の形が特殊なので、緑軸を含んだ重量で18-19トン
>です。これは人工林、天然林の目立った差はありません。
>もし、今スギ林に50%の強間伐を行ったとしても、10トン/ha 近くの葉
>を持っているわけで、それでも落葉広葉樹林の3倍ほどの葉を持って
>いることになります。

お話、ありがとうございます。このお話から考えるのですが、
その3倍の葉、それが、木の頭の方につくのが材木になるに
良い木なのですが、その木の頭に不安定についた3倍の葉が、
雨を重く蓄え、山の四方八方から不規則に吹く暴風雨に耐え
きれるのでしょうか。いままで林業が台風などで打撃を食う
なんてことは、なかったのですか?
広葉樹は、見ていると、それはそれは風になびいています。
それは、風に逆らわないという特性があるのではないでしょ
うか。枝は折れますが、身を折って耐えます。暴風雨の針葉
樹林では、倒木が多いのではないですか?

只木教授:
>>> 【土石流災害】も、人工林だからというのは言い過ぎでしょう。
>>>集中豪雨で、水を一杯に含んだ土砂がその重みで崩れ落ち、流れ
>>>るのですから、広葉樹林で土石流がないとは言えません。

ゲンゴロウ:
>> うむ。。この地耐力のお話は納得します。でも、それは地力と土石流
>> の関係だけですね。樹木を考慮している場合、背丈が高くなる針葉樹
>> を考えて、どうなるのでしょう。また、密集してしまうと、倒れやす
>> くなることも考慮したらどうなるのでしょう。。
>> で、さらに、地力との関係に話を戻して、上記で、教授は、「針葉樹
>> 林の方が土地面積あたりの葉量・葉面積が大きくて雨もよく遮断しま
>> す。」と言われていることを考える(私は、そう思いませんが)と、、、
>> 針葉樹のほうが多雨の時、重くなり危ないのではないですか?
>> (というと、こんどは、枝打ちするので、、と言われるかな・・・)

只木教授:
> 針葉樹だから背が高くなる、というのはほんとでしょうか。どこからの知識でしょう
> か?もっとも世界最高の樹木は、セコイアで針葉樹、記録にあるようなものは針葉樹
> が多いのですが、勿論広葉樹でも100mを越すユーカリもありますが、 今ここで話題
> の土石流がおこるかどうかと言った箇所での比較的未熟な傾斜地では、両者の樹高は
> そんなにちがわないと思います。手入れ不足で高密度、ひょろひょろと言った意味で
> 「背丈が高く」倒れやすいことは事実だと思いますが、樹木自体の重量は、そこの壊
> れる土壌の重量の1/10以下ですから、余り効いててこないと思います。
> 雨水が着いて
> 木が倒れた例は聴いたことがありません。起こり得ないことです。但し、積雪の場合
> にはそれが起こり、樹木が折れたり、倒れたりします。冠雪害と申します。

言葉が足りなかったようです。まず、背丈ですが、針葉樹で
枝打ちされた木は、上の方に葉を多くつけ、さらに枝が短く
しなりがないようです。広葉樹の場合は、しなりのある枝を
考えていました。広葉樹は、動的(雨風)に構造的には上が
軽いと考え、相対的な背丈を考えていました。私の脳の中で
は、最悪の状態があり、雨水と暴風雨を考えているようです。
人は、悪いことを想定して考えますが、それは、未来を予測
し、良い対処を考えようとするからです。良いことは、対処
する必要がないので、考えない様です。

ゲンゴロウ:
>> なんか、こうして教授のお話を読んでくると、教授こそ、なぜ
>> 針葉樹だけを見ているのだろうかと、思えてきます。
>> 教授は、なぜそれほどまでに針葉樹に思いを入れるのでしょう。。。
>> 住友林業や関係省庁などと関係しているのでは?などと邪推して
>> しまいそうになります。

只木教授:
> こう書かれると、「貴殿こそ、なぜ広葉樹だけを見ているのだろう
>かと、思えてきます。貴殿は、なぜそれほどまでに針葉樹人工林を
>嫌うのでしょう。。。思い入れの激しい団体、誤った思想のグループ
>などと関係しているのでは?などと邪推してしまいそうになります。」
>私は、針葉樹林、広葉樹林ともにフィールドにしてきました。勿論、
>広葉樹林も大好きです。しかし、今課題を抱えていながら、みんなに
>嫌われている人工林を、ちゃんと扱わないと日本の自然環境はめちゃ
>めちゃになる、それには、誤解されている人工林のことを正しく伝え
>ないといけないと思っています。

この教授のお考えは、とてもよく分かるのです。管理されさえ
すれば、できないはずがないのですから。でも、一生懸命に聞
けば聴くほど、なんか管理のしやすい、平地の一本杉を、教授
は考えて、それを拡大しているだけのような気がしてなりませ
ん。いったい、誰が、あの、登って下っての、日本中の山の中
の針葉樹林を管理するのでしょう。見て回るだけでも大変なの
です。出来るだけ管理・手入れしない方法を考えることこそが、
今、大切なのではないですか。

そして、これは、大きく論点を変えてしまうので、言いたくな
かったのですが、もし、同種の樹林が病気にかかって全部が弱
ってしまったら、どうなるのでしょう。いろいろなことを、私
の脳味噌が感じると、どうしても、教授のお話が、現実的でな
いように思えてしまいます。もちろん、出来れば出来るのでし
ょうが。。

ゲンゴロウ:
>> 私にすると、広葉樹でも、いや、広葉樹のほうが猿も喜ぶし、
>> いいじゃないの!と言いたいところです。
>> さらに、広葉樹は、地中の水分をドンドンと吸い上げ蒸発させ
>> ることなどを考えると、広葉樹こそ土砂災害を起こしやすい場
>> 所に適しているのではないでしょうか。

只木教授:
> お言葉を返すようですが、地中の水分をドンドンと吸い上げ蒸発
>させる蒸散という現象、これもあんまり差はありませんが、どちら
>かというと、針葉樹林で大きいのです。

蒸散作用は針葉樹のほうが広葉樹より大きい。これも、クリス
マスツリーの木ではないですか。もしかして教授は、そのよう
な木で日本の山を覆えたらとお考えなのですか?もし、そうで
あるなら、すばらしいことかもしれません。確かに。
よく知りませんが、屋久島の杉などは、そのようですから、出
来ないことはないのかもしれません。そういうことなのですか?
でも、それは林業としては、どうなのでしょうか・・・。

>> 生物の生息を考えるとき、適するとは決して力があるという
>> ことではなく、様々な状況において、共存できる生物がその環
>> 境で生息できるということだと思います。
>>  ある時は食われ(伐採され)るということも、あるいは、死
>> ぬ(朽ちる)ということも、共存の条件になると思います。
>> そういった、不可思議で、複雑である自然を操作できる、人工
>> 的な行為(管理)さえすれば可能だ!、という自然保全の考え
>> 方が、私にすると、納得がいきません。

只木教授:
> 先輩たちが作ってしまったもの、作り替えるのは大変。たとえ作り
>直したとしてもそれは人工のもの。とすれば、手入れ管理してこな
>かった過去を反省しつつ、今放置されている人工林をうまく復活さ
>せて、能力を活かすことを考えるのが素直。とは思いませんか。
>今ならまだ間に合うところは沢山ある、それらを救ってやろう、と
>は思いませんか。

きっと、こころ純粋で清らかな人ならば、「そうだ!」と
叫びたくなるでしょう。しかし、現実の問題を考えると、
悲しいかな、美しすぎる言葉に感じてしまいます。


率直に今の私の、心の内を言います。胸の内を言った方が、
教授も否定できるかもしれないので、言います。
         ↓
「放置」「放置されてきた」と、どうも「放置が悪い」
と、物事をすり替えているようにも思える。放置と言う
ことで、その責任を、所有者になすりつけようとしてい
るように思える。それを指導、監督し、牽引してきた人
の責を隠しているように思える。崩壊した森林。先輩た
ちが作ったものは、「植林し、育った木」ではなく、、
「崩壊した山」なのではないのか。そして、その崩壊は
放置のせいではなく、放置せざるを得ない状況を造った
ことが、最大の原因なのではないのか。放置は原因なの
ではなく、結果なのではないのか。

そして、今、「管理・手入れ」と言っている。それは、
実は、新しい策ではなく、失敗の継続なのではないのか。
そして、さらに「修理すれば大丈夫」と言っている教授
も、実は、崩壊した山を造った、その責に長くあった人
なのではないのか。これから生まれてくる人からみて、
林業に近い場所にいて国家から指導を任されていた教授
こそ、きわめて、その責に近い人ではないのか。
「先輩の責」でもあることを、「功労」の様に言う教授。
何か、何もかもが、微妙にずれていないか。言う時も、
言う事柄も。。先輩がいて、後世代。その間に教授はい
ないのか。それとも、みんなで渡った赤信号なのか。
私も一緒に渡ったのか。

ガタピシの不良住宅を造られて、それを造った人を管理
監督する人に、「修理さえすれば、大丈夫だ」と言われ
ているような気がする。

−−−
上記のことは、事実ではないかもしれませんが、私が感
じていることの一面です。どうも私が納得したがらない
のは、こういった、私なりの感じがあるからかもしれま
せん。教授からは、「けしかんらん」「失敬な!」「話
にならん!」と言われるかもしれませんが、どう言われ
ようと、今の私は、そう感じているような気がします。

多々、失礼はあるかと思います。最後に、それをお詫び
しておきます。

                     以上
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        ゲンゴロウ
gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
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